バレーボール男子・日本代表のエースとして活躍した加藤陽一
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 バレーボールの日本代表チームへの期待が高まっている。

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 男子チームは、1972年のミュンヘン五輪で金メダルを獲得して以来、他国のパワーとスピードに圧倒されてメダル圏外が続き、1996年のアトランタ五輪以降の6大会では出場1度のみ。その低迷期から東京五輪で29年ぶりのベスト8進出を果たすと、2023年のネーションズリーグで国際大会では46年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得。そして今年の同大会では初の銀メダルを獲得し、今や世界ランキングは過去最高の2位となっている。今夏のパリ五輪で52年ぶりのメダル獲得が期待される中、改めて男子パレー日本代表のエースたちを振り返りたい。

 52年前、男子バレー日本代表が五輪唯一の金メダル獲得したチームのエースは、横田忠義だった。1947年9月26日生まれ。香川県出身で、中央大学の在籍中に19歳で日本代表に初選出。190センチを超える身長から、特にレフトからのクロス打ちの名手として名を馳せ、大古誠司、森田淳悟と「全日本のビッグスリー」と呼ばれた。五輪には3大会に出場。1972年ミュンヘン五輪では腰痛に耐えながらコートに立ち、準決勝でブルガリアをセットカウント0-2からの大逆転勝利、決勝では東ドイツを破って金メダル獲得に貢献した。2023年に逝去し、今では古い映像でその姿を振り返ることしかできないが、日本男子バレー黄金期を支えた忘れてはいけない日本のエースだ。

 男子バレー界随一の“モテ男”にして、今の現役世代が覚えている最初の男子エースは、川合俊一だろう。1963年2月3日、新潟県生まれ。小学生の頃から東京で育ち、日本体育大学在学中に日本代表に選ばれると、1984年のロサンゼルス五輪、1988年のソウル五輪に出場。身長195cmからのパワフルなスパイクで得点を重ねてエースとして活躍するとともに、トレンディドラマに出演してもおかしくない甘いマスク、当時は珍しかった前髪を伸ばしたヘアスタイルで、女性ファンから絶大な人気を集めた。現在はバラエティ番組などに出演してユニークなトークも展開するが、その実力は紛れもなく本物だった。

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