母と同じ「〇〇子」で終わる名前も嫌でたまらなかった。もっと、「レナ」とか、「ユナ」、みたいな名前をつけてくれればよかったのに、と恨んだ。当時住んでいた父の生家は雨漏りがひどいうえ毎晩天井裏ではねずみたちが大運動会を繰り広げていた。風呂は屋外にあって、薪をくべて沸かす。母の実家には給湯器があってシャワーもついているのに。そんな家に嫁いで専業主婦をしている母のことを、心底見下していた。

ーー私は母と真逆の人生を歩んでやる。大金持ちの人と結婚して、自分も稼いで、若くて可愛いお母さんになる。そんないっぱしの口を利く娘のことを、母は「ええんじゃない?」とガハハと笑い飛ばしては、タバコを吹かしながら手際よく夕食を作るのだった。
 

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母は、私に無いものをすべて持っている。そのことに気がついたのは大人になってからだった。母は老若男女、全人類からモテて、人付き合いが上手い。一方の娘はというと、友達も少なく恋人もおらず、上司や同僚と衝突して心が折れてはすぐ会社を辞める。「あの能力が遺伝してくれていたらなあ」と何度思ったことか。

帰省中、甥(孫)の小学校の運動会に一緒に参加したら、同級生の妹とおぼしき未就学児の女の子から「一緒にかくれんぼをしよう」とナンパされていた。

母は一度は了承したものの、帰宅時間が迫っており遊べなくなってしまったことを伝えると、少女の眉はハの字になりシバシバとまばたきをして切なそうな顔を見せた。すぐに母が「今度、〇〇(甥の名前)のお家においで。そのとき一緒に遊ぼうね」と言ったときの輝いた目を今でも忘れられない。
 

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あるとき、昼寝から目が覚めると、母が息を切らして玄関から入ってきたところだった。聞くと、中学生になる孫の同級生たちと庭でバスケをして遊んできたという。四捨五入すると70歳になる年齢になってもなお、ティーンたちと本気で遊ぶ母に対して尊敬よりも心配が勝った。

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