ご成婚祝賀パレードで沿道に集まった人々に手をふる皇太子さま(当時)と雅子さま=1993年6月9日

 垣間見える「夫婦」の日常に、ほほえましさを感じる。しかし、この後、抜群のセンスのユーモアで語られることはなくなってしまった。体調不良のために、雅子さまが公務ができなくなったのだ。

 つげ氏は、その状況をこう話す。

「療養に入られてから雅子さまにストレスがかからないようにおもんぱかって、記者会見での言葉に気を遣われる状況になったと推察されます。

 雅子さまがご病気になられてからの天皇陛下の記者会見のお言葉を見ていても、陛下がご夫婦の関係性をユーモアを交えて語られることが一切なくなってしまいました。いま、振り返って、ユーモアにあふれた言葉を読み返すと、微笑ましくもあり、このときの言葉は貴重なものだったなと切なくも感じてしまいます」
 

天皇陛下が16回も使うフレーズ

 雅子さまが適応障害と診断されたことが発表になった2004年以降、誕生日に際しての記者会見のムードは変わっていった。

 そして、陛下が何度も口にする言葉があった。

 つげ氏によると、天皇陛下は雅子さまに関して、「国民の皆さんには回復を温かく見守っていただければ』という趣旨の言葉を16回使っている。そして、「雅子をしっかりと支えていきたい」「できる限り力になって支えていきたい」という言葉も11回、話されていた。

 つげ氏はそこに、天皇陛下の雅子さまに対する深い愛情を感じるという。

「これほど、何度も記者会見で話されているのは、陛下が強く心に決めていらっしゃったからだと感じます。また、陛下と雅子さまの絆の深さも伝わってきます。この回数が物語っていますよね。まさに、プロポーズの言葉『全力でお守りします』を貫き通してきた31年間だったと思います」
 

 そして今年の2月の誕生日に際して、天皇陛下は雅子さまに関して、こう話している。

「雅子と結婚してから、二人で一緒に多くのことを経験し、お互いに助け合い、喜びや悲しみなどを分かち合いながら歩んでまいりました。
 雅子は、娘の愛子の成長を見守りつつ、私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手になってくれています。本当によくやってくれていると思い、助けられることも多いです。私も、今後ともできる限り力になり、支えていきたいと思っています。
 30年を共に過ごし、雅子には、私からこれまでの感謝の気持ちを伝えたいと思うとともに、この先の人生も引き続きよろしく、と伝えたいと思います」

(「令和6年天皇陛下お誕生日に際して」から抜粋)

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