小中高と大分の公立校で学び、米・ハーバード大学、ジュリアード音楽院を卒業・修了したバイオリニストの廣津留すみれさん(30)。その活動は国内外での演奏だけにとどまらず、大学の教壇に立ったり、情報番組のコメンテーターを務めたりと、幅広い。「才女」のひと言では片付けられない廣津留さんに、人間関係から教育やキャリアのことまで、さまざまな悩みや疑問を投げかけていくAERA dot.連載。今回は、タンゴの演奏活動をライフワークにもしている廣津留さんに、その出会いや魅力について聞いてみた。
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Q. 廣津留さんはタンゴの演奏活動をライフワークの一つにされていますが、タンゴとの出会いのきっかけや惹き込まれた魅力、ライフワークにしようと思った理由について教えてください。
A. タンゴを耳にするようになったのは、親がピアソラの曲をよく聴いていたからですね。ピアソラはアルゼンチン出身のタンゴ音楽作曲家で、親も私に弾いてほしかったのか、家の中の目につくところになにげなく楽譜が置いてありました(笑)。でも、まだ子どもだった私には、さすがにあの大人な雰囲気の音楽は理解できませんでしたね。中でも親イチオシのスローな曲をちょっと弾いてはみたものの「なんか、音をめっちゃのばすやん」て(笑)。
再びタンゴをちゃんと聴くようになったのは、大学に入ってから。アメリカでいろいろな出会いがあり、ゲーム音楽やジャズ、ワールドミュージックなど、クラシック以外の音楽にもたくさん触れて、演奏もジャンルにとらわれなくていいと思うようになったんですよね。幅広く音楽を聴くようになって、「そういえばピアソラってよく家でかかっていたな」と改めて聴いたら、すごく好きになりました。大人な音楽の魅力が分かる年齢になったということだと思います。
ハーバード大では学内オーケストラをバックにしたソロ演奏や卒業リサイタルでもタンゴを弾きましたが、当時はタンゴといえばピアソラしか知りませんでした。深くハマっていくようになったのは、ジュリアード音楽院での修了リサイタルがきっかけです。ピアソラを演奏したくてバンドネオンを弾ける人を探していたら、チェリストの友人が親戚の演奏家を紹介してくれたのですが、なんとその人が、グラミー賞を取ったこともあるほどの第一線で活躍するアルゼンチン人バンドネオン奏者だったんです。彼との共演がきっかけで、アメリカ・バーモント州で開催されるタンゴの音楽祭に2018年に招待していただき、私のタンゴコミュニティーが一気に広がりました。世界各地からタンゴを生業とするミュージシャンたちが集まる音楽祭なので、そこでの出会いがご縁を呼んでニューヨークに戻っても彼らのグループに入れてもらって演奏する機会がぐんと増えたんです。ピアソラのほかにも、古典タンゴやヨーロッパ生まれのコンチネンタル・タンゴ、今を生きる作曲家の作品などにも触れるようになり、こんなに広い世界だったんだと改めてその魅力を知りました。