一条は同僚の聖子に、経済学者・春日井の講演会に誘われ、さらに春日井の自宅にも招かれ、思わぬ形でテロ組織とかかわることになる。追われる身になった一条は、〈MASAKADO〉の理論的指導者の春日井、構成員の聖子により、アジトに匿われた。春日井は、新規メンバーで信頼できる一条に、聖子が所属している〈MASAKADO〉のセクション(支部)に潜入しているスパイを捜し出して欲しいと頼む。
一条が顔合わせの名目でセクションのメンバーと会い、誰がスパイかを推理する前半は、本格ミステリーの作家としてキャリアを積んできた著者らしい犯人当てとなっている。聖子によると、〈MASAKADO〉はテロで独立を果たそうとする武闘派と、テロでは独立は実現できないと考える穏健派が対立しているという。ただテロを批判する穏健派も、格差、差別を生むシステムそのものの破壊を目論んでいた。この穏健派の計画は、『灰色の虹』『悪の芽』などで悪とは何かを追究してきた著者が、悪と正面から向き合い、それを根絶する方法を提示したともいえるだけに、壮大なビジョンも含め衝撃を受けるのではないか。
穏健派の計画に一定の理解を示していた一条だが、武闘派や異なる意見を認めずに排除し、強引な手法で計画を進めようとする穏健派に違和感を覚える。穏健派の主張は、正義が次第に独善となり最後には悪に転じることも珍しくないネット言論の戯画ともいえるので、生々しく感じられるはずだ。
〈MASAKADO〉にかかわった一条は、身分証明書なしでスマホ、宿泊場所を確保する方法や、限られた資金を何に使うかを考えるが、普通の生活空間が冒険の最前線になるだけに圧倒的なサスペンスがある。著者は、独善と気付かず悪を実行する穏健派、心の中に揺れはあるが国家の敵を悪と断じて戦う職務に忠実な辺見、無私の心で一条を助ける小さな個人の善意を対比することで、本当に社会を改革できるのはどの考え方かと問い掛けており、考えさせられる。
本書は、経済格差、特定地域への差別、よい国を造るよりも集票が期待できるポピュリズムに走る政治家、沖縄に負担を押し付けている米軍基地問題など、現実の日本と重なる社会問題を俎上に載せている。現状に不満はあるが改革を訴えてこなかった一条は、はからずも政治的な闘争を経験したことで、持たざる者は努力しても持てる者になれないため、自分より下の人間がいると満足し、あらゆることに無関心になっている状況が、社会の変革を阻んでいる現実を知る。これは無関心と無気力が停滞を是認するどころか、不満を口にしたり、改革を主張したりする人たちを批判する声が大きくなっている現実の日本も同じである。
一条を追う辺見が最後にたどり着いた境地は、苦しくても生き続けること、諦めず理想を追うこと、上からの押し付けではなく下からの声を集めて社会を動かさないと、真の改革は実現しないことを気付かせてくれるのである。