昨年9月、第80回ヴェネチア国際映画祭のレッドカーペットに登場した濱口監督。海外にも濱口作品のファンは多い(写真:(c)KAZUKO WAKAYAMA)

 飛行機や新幹線での移動も同じで人間の体をひとつの自然と捉えるならば、現代社会のスピードはもはや自然と調和しない状態になっている。自然や人間の回復能力を超えたかたちで社会活動や企業活動がなされている。特にここ20年ほどでさらに危機的になっていると感じていて、そんな意識が物語の源になっていったと思います。ただモデルになったグランピング施設計画はその後取りやめになったようです。

観客の受け止める力

──後半、物語は意外な転調をみせる。観る人にさまざまを想像させる結末はヌーヴェルヴァーグ映画の不条理劇のようでもあり、深く長い余韻を残す。

濱口:そう言われて直接的に思いつくのはクロード・シャブロルの映画ですが、自分が映画を見始めた1990~2000年代初頭は、まだ映画が不条理な終わり方をするだけの体力があったと感じます。それは観客の受け止める力ということでもあって、必ずしも理由が釈然としないまま終わる、むしろ体に残るのはそういう映画だったと思うんです。自分も「一体どう感じたらいいんだ?」と思って終わる映画を作りたいとは常に思っていて、今回それをできるだけ突き詰めてみたという感じです。石橋さんの音楽自体が明確な解決や終止感を持たないので、そこに背中を押された気もします。ヴェネチア国際映画祭でもさまざまな反応をもらいましたが、おもしろかったのは「巧は鹿だったんですね」というもの。そう言われると僕も「そうなのかも」と妙に納得したり(笑)。いろいろな解釈をされることは楽しいです。

(フリーランス記者・中村千晶)

AERA 2024年4月22日号より抜粋

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