日本にはコンビニ店数の約3倍近い数、約16万基もの古墳が存在する。日本が誇る古墳文化の楽しみ方を、
 その種類から造営方法まで、古墳見学を楽しむハウツーを5回にわたって伝授する。 第2回は「古墳の形」について。

【図解】大きな前方後円墳は天皇にだけ許されていた

時代に応じて変化・進化
形や大きさの法則性を探る

 ひと口に古墳といっても、その形には様々なものがある。大きくは「前方後円墳」「前方後方墳」「円墳」「方墳」の4つに分けることができる。その大きさや形状は、埋葬された人(被葬者)の階層によって決められていた。

 たとえば、多くの人に馴染みの深い「前方後円墳」は古墳の最上位に位置する。上から見れば鍵穴のような形をしていて、大王やその一族および、大和政権と密接な関係を持つ有力な首長が埋葬されたと考えられる。3世紀中頃に成立した形で、7世紀初め頃までの約350年間に造られた。前方後円墳は全国に約4700基あるが、被葬者の位によって大きさにも差があり、大山古墳のような巨大な規模のものは大王(天皇)のみに築造が許されていた。

 それに次ぐクラスの墳形が「前方後方墳」で、形状は「前方後円墳」に似ているが、後部も方形・台形に造られたという点で違いがある。こちらも各地の首長層に造られたと考えられるが、中央政権(大和政権)からの格付けは、前方後円墳の下位であったとみられる。その数は全国で約500基と比較的に少ない。造られたのが主に3世紀から4世紀末頃までに限定されていることもその理由だろう。

 それらに比べ「円墳」や「方墳」などは下位に属する古墳であるだけに数も多い。古墳は全国に約16万基あるといわれるが、9割を占めるのが「円墳」だ。その理由は、首長層(各地の政治的リーダー)の下位の中間層にまで、造墓が及んだ政治的理由に基づく。7世紀後半になっても築造が続いた。サイズは小型のものが多いが、埼玉県にある丸墓山古墳のような大規模なものも存在する。

「方墳」は5〜6世紀の大王墓など巨大前方後円墳に付随したものも多く、7世紀になると大型のものが多くなる。それは「前方後円墳」の築造が終わりを迎えた時期でもあり、代わって大王や有力首長の墓として方墳が築かれたためだ。大阪府にある春日向山(用明陵)、蘇我馬子の墓と推定される石舞台古墳(奈良県)などが有名である。

古墳のランクとは?

古墳の大小の差と形状は一見、無作為にも見えるが、実際は被葬者の位や大和政権との距離に応じ築かれるものが決まっていた。大和政権が君臨した畿内の一部では前方後円墳を頂点とした墓制が敷かれ、全国に広まった。

※「古墳時代の研究 7」都出比呂志「墳丘の形式」を元に作成(イラスト/蓬生雄司)
この記事の写真をすべて見る