バブルの象徴のようにいわれるディスコ「ジュリアナ東京」だが、開店はバブル崩壊後の1991年5月だ=1992年3月、東京都港区(写真:Fujifotos/アフロ)

強引な不良債権処理

卓郎:ちょっとだけ違うんですよ。銀行を悪者にすることもできるけれども、さっき言った財務省の緊縮政策と両輪でやったのが、アメリカの圧力に屈したということなんですね。特に小泉政権時に当時のブッシュ米大統領の圧力で、不良債権処理を強引にやらされたわけです。

 不良債権って、バブル期に調子に乗って誰も来ないようなテーマパークを作ったといったようなイメージを持つ人が多いけど、それは数パーセントに過ぎないんです。不良債権の大部分は、担保割れだったんですね。

 バブル崩壊で大都市の不動産価格がオーバーシュートして下がり3分の1以下になった。その結果の担保割れにどう対処するかというと、一つはその企業を全部潰してしまえというのと、もう一つはいずれ価格は戻るんだから放っておけばいい。小泉政権は片端から潰しにいった。

 つまり小泉政権の時に不良債権処理をしなければ日本経済ははるかによくなっていた。やらなくていいことをやって従業員を失業者にして、日本の大切な企業資産を二束三文でハゲタカに売り飛ばしたわけです。だから日本の経済力が大きく落ちた。

 そして1985年の日本航空123便の墜落事件以降、対米全面服従路線が始まるんですよ。典型的なのが、85年のプラザ合意で、為替を2倍の円高にさせられたんですね。翌86年に日米半導体協定を結ばされて、それまで5割だった世界シェアが今1割を切るところまで落ちた。

 その後日米構造協議があって、片っ端からアメリカの要求をのまされるようになる。そして「年次改革要望書」という、アメリカがここに何か書けば日本は全部服従しなきゃいけないという日本経済の「デスノート」なんですが、小泉内閣のときにそこにいたる流れが作られました。そんなことをやっていたら、経済は落ちるに決まってるわけです。10年以内にベスト10からも落ちると思う。

(構成/編集部・秦正理)

AERA 2024年3月25日号より抜粋

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秦正理

秦正理

ニュース週刊誌「AERA」記者。増刊「甲子園」の編集を週刊朝日時代から長年担当中。高校野球、バスケットボール、五輪など、スポーツを中心に増刊の編集にも携わっています。

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