腐敗を厳しく追及
ナワリヌイ氏は従来のロシア反政府派とは毛色の違う異色の活動家であり、野党指導者だったという。2010年前後からブロガーとして政府の腐敗を厳しく追及し人気を博すると、13年のモスクワ市長選に出馬、約3割の票を得て体制側を慌てさせた。18年の大統領選では全国的な運動を展開するが、立候補を阻まれている。毒殺未遂事件後の21年には、黒海沿岸のリゾート地にある宮殿のような豪邸をプーチン大統領のものだと指摘するYouTube動画を公開し、世界的な話題を呼んだ。
ロシア政治を専門とする、法政大学名誉教授の下斗米伸夫さんはナワリヌイ氏をこう評する。
「ナワリヌイ氏はソ連末期以来の野党指導者や反体制活動家とは違い、精緻な理論武装や論理的な一貫性を持って政権と対峙してきた人物ではありません。いわば21世紀的な『行動するブロガー』で、民族主義的な発言でも注目を集めています。反体制派のなかでも批判を受けることがありましたが、同時に熱狂的な人気も持ち合わせた人物でした」
ナワリヌイ氏は「劇薬」
服部教授も、ナワリヌイ氏を「劇薬」と表現する。
「彼はロシア反体制派のなかで絶対的なリーダーだったわけではありません。一方、21年の『プーチン宮殿』の暴露しかり、閉塞的なロシア社会のなかに大きなうねりを引き起こしうる、『劇薬』のような力を秘めていたと思います。あの手この手で体制を揺さぶろうとする存在で、プーチン政権にとっては摘んでおきたい将来の危険な芽であったと言えるでしょう」
ナワリヌイ氏の死後、ロシア当局は追悼の封じ込めを強める。人権団体OVD-Infoによると、葬儀が営まれた3月1日には国内19都市で計128人が拘束されたという。プーチン政権の警戒感の表れとも言えるだろう。一方で、服部教授はナワリヌイ氏への追悼や抗議の声が、ロシア社会を揺るがすようなうねりになることは考えにくいと話す。
「プーチン氏はこれまで、反政府の動きを摘み続けてきました。ナワリヌイ氏の死に心を痛めている人は多くいるでしょうが、声を上げるのが難しい。ナワリヌイ氏への追悼も、かつて彼が動員した反政府デモの規模に比べるとけた違いに小さくなっています」