すると、野茂氏は投げ方を教えることなく、「一塁側から投げてみたら?」とアドバイスした。

 当時の金子は、プレートの三塁側に軸足を置いて投げていた。三塁側から投げると、右打者へのシュートは大きな変化が必要だが、一塁側ならリリースの位置が最初からストライクゾーンに来ているので、ボールをわずかに変化させるだけでゾーンに外すことができる。まさに“コロンブスの卵”だった。

 初めのうちは三塁側と一塁側の風景の変化に違和感を覚えたが、投げつづけているうちに、次第に”新しい風景”になじんでいく。

 この結果、右打者への苦手意識を克服した金子は、10年に17勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得するなど、押しも押されぬエースに成長。「二桁勝利を挙げ、ようやくプロとしてやっていく光が見えたときに、こうした変革ができたことは大きかったと思います」(自著「どんな球を投げたら打たれないか」 PHP新書)と野茂氏に感謝している。(文・久保田龍雄)

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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