現役時代に三冠王を3度獲得した落合博満氏も、2001年2月に森祇晶監督の依頼で3日間横浜の臨時コーチを務め、当時若手の一人だった多村仁志に特訓を課した。

 その落合氏は、一昨年11月に自らの公式ユーチューブチャンネルで「時間的に一番時間を使ったのは多村だよ。あとはグラウンドでそこそこのことは何人かの選手には指導はしてるとは思うんだけども。一番記憶に残っているのは多村」と回想している。

 当時の多村は、同じチームで活躍したロバート・ローズに似たフォームだったが、落合氏は「そんな打ち方じゃ2時間も3時間も打てない。長く打つには楽な構えから」とアドバイスし、「2、3時間で1500スイングは当たり前」というほど、徹底的にバットを振らせた。

 その結果、ふらふらになるまでバットを振りつづけた多村は、いつしか“ローズ流”は消え、自ずと理想のフォームを会得していた。

 といっても、すぐに効果が出たわけではなく、同年の多村は打率.163と苦しんだ。だが、その後も地道に努力を続け、04年に40本塁打を記録するなど、球界を代表する長距離砲になった。

 マンツーマンの特訓から10年後、ソフトバンク時代の11年の日本シリーズで、落合監督率いる中日と対戦した多村は、第3戦で勝利を決める“恩返し”の2ランを放ち、「落合さんが自分のバッティングを作ってくれた。(目の前で)打てたことがうれしい」と語っている。

 野茂英雄氏のアドバイスをきっかけに、エースへの道を歩みはじめたのが、オリックス時代の金子千尋だ。

 入団4年目の08年に初めて二桁勝利(10勝)を記録した金子は、当時シュートのコントロールで悩んでいた。

 右打者に対し、シュートを外側からいったんストライクゾーンに入れたあと、ゾーンを外れるように投げるには、球を大きく変化させる必要がある。そこで、シュートに近いシンカーを投げたいと考えた。

 そんな矢先、現役を引退したばかりの野茂氏が秋季キャンプの臨時コーチとしてやって来た。この好機を逃す手はない。金子は野茂氏に相談した。

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野茂氏が金子におくったアドバイスは?