「のこぎり屋根」は一宮市に約2千棟残る。いまや織物史を知る貴重な場。保存されていて本当にうれしい(撮影/狩野喜彦)

 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年3月11日号では、前号に引き続きブラザー工業・小池利和会長が登場し、「源流」である故郷の愛知県一宮市を訪れた。

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 子どものころ、愛知県一宮市郊外の自宅にいると、機織りの音が聞こえた。

 一宮市は「尾張の繊維の街」と言われた国内有数の織物の産地だった。市内を巡ると「のこぎり屋根」と呼ばれる織物工場の名残を、各所で目にする。

「のこぎり屋根」は、織子と呼ばれた女性たちが織物の出来具合を目で確認していくのに必要な光を、より多く採り入れるため、屋根をノコギリの歯のようにジグザグにした工夫だ。最盛期、市内の「のこぎり屋根」は8千棟を超えた。

 実家も、祖父母が設立した小池毛織という織物会社で、父も小池毛織に勤めていた。自宅は会社と工場に隣接し、両親と姉妹の5人家族だった。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 昨年12月、故郷の一宮市を、連載の企画で一緒に訪ねた。母は戦後、女学校を出たばかりの二十歳前後で結婚した。多くの女性がその年代で結婚する時代で、母は思うような教育を受けられなかった残念さを、子どもたちの教育へ向けた。

バイオリンを6年ボーイスカウト5年母に通わせられた

 市立赤見小学校時代、母に毎週金曜日の下校後、バイオリン教室へ通わされた。JRの尾張一宮駅の近くで、自宅近くからバスで通う。市立西成中学校へ進んでも続け、計6年。小学校5年生から、ボーイスカウト活動もした。自宅から歩いて約20分の公園に集まり、飯盒炊飯などを覚える。こちらは計5年。自分がやれなかったことを子どもたちにやらせたい、との母の思いを感じ取り、子ども心に決めていた。

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