運動部の誘いは断り選んだ速記研究会面白くて4年続ける
75年春に早稲田大学政治経済学部の経済学科へ進み、校内を歩いていると、いくつかの運動部から誘いがかかった。身長が180センチ近くあり、身体もがっしりしていたためだろう。でも、運動は苦手。邦文速記研究会へ入った。邦文速記は、日本語の会話を線や符号で書きとめ、後で文章に直す。国会の議事録などで、活用されてきた。練習すると上達し、面白くなって卒業まで4年続けた。やはり「やると決めたら、やり抜く」で、速記はいまでも使える。
79年4月に入社。本社が故郷から近い名古屋市にあり、新卒を百人単位で採る企業が多くあるなか、同期入社は技術系も含めて14人。自分の思いに合った規模だった。入社3年目、米ロサンゼルスへ赴任した。売上高の3分の1を占めるミシンの訪問販売が、大型スーパーが安い品を扱い始めたことで、陰りが出てきたころだ。新しく開発された電子プリンターを、米国で売る先兵に選ばれた。「海外にいきたくない」が本音だったが、20代半ばで早くもリーダーシップを発揮するチャンス。つかむしかない、と受けた。
開発されたプリンターは、簡単に言えば、主力製品の一つだった電子タイプライターのキーボードを外し、接続端子を付けてパソコンへつなぐ形。米国でパソコンの新機種が次々に登場し、プリンター需要が増えることに着目した。
本社の「広過ぎる」の反対を押し切り6年で拡張を実現へ
着任すると、オフィススーパーストア(OSS)と呼ぶ事務用品量販店の上位3社に、徹底的に食い込む。3社は、どこも全米に千店を超す店を持つから、成果は大きい。『源流』から続く「やると決めたら、やり抜く」の流れは、米国へも広がっていく。4年たって、東海岸のニュージャージー州にあったブラザーの米国販売会社BICへ異動し、次々に新商品を考案する。
90年代半ば、売り上げが伸びるに従い、製品を置き、修理をする場所が足りなくなる。テネシー州メンフィス郊外にあった自社の倉庫に入り切らず、外部の倉庫を5カ所借りたが、新製品とともに予備の部品も増えていき、すぐに満杯となった。
名古屋市の本社へ何度かいって、巨大な倉庫の建設を提案した。先々に備え、敷地も広めに求めた。本社の面々は「そんなに広い土地を買って、倉庫業でも始める気か」と反対したが、「でっかい成長を目指すなら、それに見合った規模にしなければいけない」と押し切る。言葉通り売りに売り抜いて、新しい巨大な倉庫もまもなく満杯となり、6年後、BIC社長時代に空き地を使って拡張した。
米国にいた23年余りで、BICの売上高を25倍に増やし、05年に帰国する。社内の誰もが認める実績で、2年後の07年6月に本社の社長となる。『源流』からの流れは、大きく幅を広げた。2018年6月、会長に就任。今度は会社の経営を高い視点から見守る役で、流域はさらに広がった。(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2024年3月11日号