「やると決めたら、やり抜く」

 不器用で、運動は苦手。母に期待されたほど、格好よくできない。期待を、よく裏切った。ただ、人前で話すのは得意で、小学校は級長、中学校は生徒会の役員。どちらかと言うと「何でも先頭に立ってやりたい」という気持ちが、強かった。母に背中を押され、そうなった部分もある。小池さんがビジネスパーソンとしての『源流』になったと思う、母との世界だ。

 父は男4人女2人のきょうだいの末っ子で、社長にはなれない。最後は採用を担当する常務を務め、春の卒業期が近づくと九州などの高校を訪れ、仕事の内容や女子寮の受け入れ態勢を説明し、織子を集めた。引き受けた任務を、黙々とこなす。その父からも「やると決めたら、やり抜く」という強い意志を、受け継いだのかもしれない。

 こうした日々から、就職へ向かって「大きな企業で下部組織の一員であるよりも、小さな企業でもいいからリーダーシップを発揮したい」との思いが、強まっていく。

『源流Again』で、一宮市大赤見の実家へ向かった。1500坪の土地に本社と工場、女子寮があった。いま、敷地の一部は宅地になっている。10年余り前、工場と本家の屋敷がブルドーザーで壊されるのをみたとき、切ない思いがした。自宅は横へずらし、父が使っている。1955年10月に生まれたころは、周囲一面が田んぼで、自宅から遮るものもなく赤見小学校の全景がみえた。いまは学校の周りにも住宅ができて、校舎の一部しかみえない。

 同市篭屋に残る「のこぎり屋根」も、訪ねた。資料館へ入ると、織物の歴史が分かる。一宮市でも明治になって洋服を着るようになると、生地が絹から木綿へ、さらに毛織物へ変わる。豪州から羊毛を輸入し、糸を揃える製織と色を染める染色、生地にする機織りが繁栄した。

 中学生になると、労賃の安いアジアの国々が織物業に力を入れ、日本勢は競争力がなくなって、地域から姿が減っていく。それでも「のこぎり屋根」は、まだ2千棟くらい残っている。改装や改築するにも費用がかかり、所有者たちも手を付けられないようだ、と聞いた。

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