JP:私たちは独裁国家や独裁政権のもとで暮らしているわけではありません。しかし格差は日々広がっています。残念ながら人々が連帯感を持つことはどんどん少なくなっています。ただこれは経済の問題だけではなく、一般的な傾向かもしれません。行き過ぎた個人主義がコミュニティーを壊している。資本主義がそれを後押ししている側面もあります。

 そのなかで芸術や音楽は唯一、何かを人々と分かち合うということができる場所です。全員が同じものに賛成しなくていいんです。少しでも共感できるもの同士がコミュニティーを作ることができる場所。それが芸術だと思います。

■「罪悪感」というテーマ

天童:私はお二人の作品の主人公たちに共通する問題に「罪悪感」があると感じています。罪悪感は主人公たちが成長するための、あるいは真人間になるための大切なテーマになっている。罪悪感を受け止めることで正しい人になることもあれば、罪悪感を持てないがゆえにトリとロキタを見放す側に立つ人間も登場する。罪悪感を人間の尊厳に繋がる大切なものであると考えていらっしゃいますか?

L:まさにそうです。罪悪感を持たない人たちは結局、人を簡単に殺すことができるんです。これは私たちが映画を作る上での強迫観念でもあります。相手に対してある種の罪悪感を持つこと。決して自分が世界の中心と思わず、他人に対して謙虚であるべきだと思います。

 しかし単に罪悪感を持ったらそれで十分ということではありません。それを何かの役に立てなければならない。例えば「午後8時の訪問者」(2016年)で主人公の女性医師は、自分がドアを開けなかったことで黒人の移民の少女が殺される事態になってしまう。彼女は大きな罪悪感を覚えます。そして彼女は亡くなった女性の名前を知ろうとし、何が起こったのか事実を知ろうとするのです。

 作家のワシーリー・グロスマンが『人生と運命』の中で書いています。「善行を行うこと、それは決してイデオロギーや宗教からではなく、ましてや誰かがそれを見ているからではない」。罪悪感も同じです。誰かが見ているから抱くものではなく、決して人前に掲げる価値観ではありません。それはその人物の内面から出てきて、その人の生き方を証言するようなものなのです。

天童:そのとおりですね。今日は貴重なお時間と素晴らしいお話をありがとうございました。

JP&L:こちらこそ! 本、読ませていただきますね。

(構成/フリーランス記者・中村千晶)

AERA 2023年4月3日号