■行き場を失った主人公

天童:お二人は一貫して社会的につらい立場に置かれている人々や忘れられている人々を表現し続けています。使命感のようなものがあるのでしょうか?

JP:使命感、というほどの重いものはありません。私たちはあくまでも謙虚にいたいと思っています。ただ私たちは子どものときから不正義に対して憤りを感じるところがありました。最初はいまフィクションを撮っているのと同じ街でドキュメンタリーを撮り始めました。不正義と闘う人々を撮ったのです。ごく自然な流れでした。

L:私たちが生まれ育った街は工業地帯で、多くの人が働き経済的にも恵まれていた地域でした。しかしある時から脱工業化が始まって、経済危機に陥り、貧しい住人が増えました。8万人の人口のうち約4万人が失業者というような状況になってしまったのです。彼らは麻薬密売人になったり、仕事のない若者たちが道でぶらぶらしていたり。自分たちの目の前に苦しんでいる人々がいたのです。私たちは彼らをとても近く感じ、苦しみに共感しました。私たちは行き場を失った人々、助けてくれる人もいないような人たちを主人公に、映画を撮りたいと思ってきました。

天童:お二人の作品の登場人物はたとえ悪人であっても、ただの悪人として描かれるのではなく、そこで生活している人間として描かれています。例えば「トリとロキタ」で二人に麻薬を運ばせる人物はイタリア料理店のシェフとして、おかしいほど真面目に日々の仕事をこなしている。監督が登場人物たちを愛していることが伝わります。いまのお話を聞いてその秘密が少しわかった気がします。

JP&L:ありがとうございます。

■芸術が担う役割とは

天童:お二人の作品の背景には資本主義経済の限界の露呈も感じます。そのなかで弱い立場の人々がさらに弱い人々を追い込んでしまう負の連鎖がリアルに描かれている。日本も同じ状況ですが、現代世界が共通して抱えるこの問題をどうお考えになっているでしょうか?

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