ウォルター・アイザックソンの新刊『コード・ブレーカー』(文藝春秋刊 野中香方子・西村美佐子訳)を感慨深く読んだ。この本、原題をThe Code Breaker:Jennifer Doudna, Gene Editing, and the Future of the Human Raceという。
そう、2020年のノーベル化学賞を受賞したジェニファー・ダウドナを、スティーブ・ジョブズの伝記も描いたアイザックソンがノンフィクションにしたのだ。
様々な読み方ができる本だと思うが、私にとっては、ノンフィクションひいて報道のあり方という面で大きな気づきを与えてくれる本だった。
というのは、私は、ジェニファー・ダウドナ自身の手記『クリスパー 究極の遺伝子編集技術の発見』の編集者だったからだ。当時勤めていた文藝春秋の編集者として日本版を2017年に出版した。
当事者の書いた手記と、第三者の書いたノンフィクションで、いかに違う風景が見えてくることか。
細菌がウイルスの侵入を防ぐ手段として進化の過程で獲得したクリスパー-キャス9というシステム。それが遺伝子編集に応用できると気がついたこと、しかもこれを使えば、ヒトゲノムを構成する32億文字の中から、たった一文字の誤りを探し出し、修正するという離れ業ができる。「ノーベル賞最有力」という帯をまいて出版したその3年後に実際に本人がノーベル賞を受賞する。商業的にも大成功だった本なのだが、私はこの手記の版権を取得する際に、一点気になっていた点があった。
それは、このクリスパー-キャス9の特許をめぐって、MITとハーバード大学が出資するブロード研究所の科学者フェン・チャンとダウドナが争っていたことだ。
この裁判の行方によっては、フェン・チャンこそが、クリスパー-キャス9の発見者になるかもしれない。
しかし、ダウドナ自身の手記には、特許をめぐる争いのことも、フェン・チャンのこともまったく触れられていなかった。