撮影を始めたのは15年。日常的にカメラを持ち歩き、目についたブルーシートを片っ端から写した。
「見ざる・言わざる・聞かざる」を意味する「三猿」のように、ブルーシートを「見えない・見ていない・見ようとしない」ことのモチーフとして撮影したつもりだった。
ところが、ある程度撮影を進めた段階で写真を並べてみると、がくぜんとした。あまりにも漠然としていて、「時代性」という撮影意図が伝わるとは思えなかった。
ホームレスを写した学生時代
そこで思い浮かんだのが、撮影を始めたころ、たまたま訪れた多摩川の河川敷で目にしたブルーシートの住まいだったという。
「実は、ブルーシートを撮り始めたころから、頭の片隅にもう一つ、撮影したいと思っていた別のテーマがあった。それが『東京の排他性』だったんです」
ブルーシートを意識しながら東京を歩いていると、シートで雨風をしのぐホームレスの姿が目に映った。
「ただ、昔に比べてずいぶん減ったなあ、と感じていたんです。もちろん、その背景には福祉の充実もあるのですが、東京がホームレスにとって暮らしにくい街になってきた」
時津さんは大学時代、フォトジャーナリズムに興味を持ち、独学で写真を学んだ。そして通ったのが新宿駅西口の地下広場にあったホームレスのコミュニティー、通称「ダンボール村」だった。
「別に高尚な動機があったわけではないんですが、とりあえず何かを撮りたかった。カップ酒を土産にダンボール村に行って、一緒に酒を飲みながらポートレートを撮影した」
ところが、そんな日々は突然終わった。1998年2月、失火事故で4人が亡くなったことをきっかけにダンボール村はあっという間に撤去された。時津さんは追われるように広場を去る人々を撮影した。
「そんな経験があるので、ずっと心の奥底でホームレスの姿が気になっていたんです」
東京がツルツルしてきた
1990年代の新宿には昭和的ないかがわしさと同時に、のんびりとした雰囲気やおおらかさがあったという。何もせずに路上に座り込んだり、寝転ぶ人。捨てられた雑誌を並べて売る人があちこちにいた。
「ところが2000年以降、新宿や渋谷、六本木、麻布などの都心部では再開発が進み、どこも同じような風景になってきた。うまく言えないんですけれど、街の感触が人を表面ではね返すようにツルツルしてきた感じがする。昔の東京は雑多な人を受け入れてきた面白さがあったのですが、そんな街の空気が消えていった」