ビルとビルのすき間がフェンスでふさがれ、人が入り込めないようになった。公園のベンチには「排除アート」と呼ばれる突起物が設けられるようになった。防犯カメラも増えた。ごみ捨て場は施錠され、空き缶集めができなくなった。
「都心ではホームレスが横になれる場所がほとんどなくなった。空き缶を集めると1キロ200円くらいで売れるので、弁当くらいは買えるんですが、それも難しくなった。そんな東京の排他性を撮ろうと思った」
そこで目を向けたのが、多摩川の河川敷に建っていたブルーシートの小屋だった。
「街なかで排除アートを撮ってもつまらない。東京の排他性を撮るなら、都心ではなく、むしろ多摩川のような周縁から東京を見たほうが面白いと思った」
当初の「物事の本質が見えなくなってきた時代性」という撮影テーマからは後退するものの、都心では見えなくなってきたホームレスの存在とブルーシートがリンクしている、という思いもあった。
論破できない人はダメなのか
本格的に多摩川に通い始めたのは18年。
「グーグル・アースで河川敷を見ると、ブルーシートの小屋が点々としているのがわかるんです。それを目安に、このあたりに行ってみよう、と歩いた。でも、いきなり訪ねて、『はい、どうぞ撮ってください』とは、当然ならないわけで、写真を撮らせてもらえるようになるまでにはある程度時間がかかりましたね」
背の高い草が生い茂る河原の踏み跡を分け入るように歩いていった。目の前に現れた小屋の前で、「こんにちは」と、呼びかけた。「おう」と、住人から返事があり、会話が始まることがあれば、「あ?」と、相手の不信感が伝わってくる場合もあった。
「いったい、お前は何しに来たんだ、ということになるわけですが、『多摩川を撮っているんです』と言うと、普段、人と話す機会が少ない人たちなので、結構しゃべってくれたりしました」
そんな人のもとに繰り返し通い、「今度撮らせてもらっていいですか」と切り出す。「いいよ、いいよ」と言ってくれることもあれば、明らかに難しい場合もあった。
撮影を承諾してくれた人でもその内容はさまざまだ。普通にポートレートを撮らせてくれた人、後ろ姿ならOKだった人、家の風景だけならいいよ、という場合もあった。撮影した写真は後日、プリントして手渡した。
「何となく世間話をしていると、相手がすごくいい人だということがわかるんです。でも今は、言葉で勝てない、『論破』できない人はダメ、みたいな風潮がネット上でも実社会でもあるじゃないですか。マイルドな人が生きづらくなっている。そういうことがむき出しになっている時代は嫌だな、と思いますね」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
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