83年11月に着任した企画部は「奥の院」のような印象で、普通の行員は何をやっているところか分からない。内示を聞いて「えっ?」と驚いたことを、いまも覚えている。それが続けて14年5カ月もいることになり、「度胸と自信」の『源流』が勢いを増す経験もした。
94年12月6日、企画部にできた全国銀行協会(全銀協)の別室で次長のときだ。年越しの準備をしていたら、企画部担当の専務に呼ばれた。いくと、予想もしない言葉を投げられる。
「これからのすべての予定を、キャンセルしてくれ」
理由を尋ねると、経営難に陥っていた都内の二つの信用組合から預金や健全な融資などを移す受け皿銀行をつくるので、全銀協会長銀行として金融界の出資を取りまとめる役をやれ、との指示だ。ということは、2信組は救済せずに破綻させる。預金を保護する制度はあったが、発動されたことがない。金融界にとって、激震だ。でも、不思議と気持ちは平穏。底流に「度胸と自信」があった。
正攻法で説いた新銀行への出資 152機関が応じた
2信組に住友は直接関係ないが、突然、当事者の1人となった。『源流』からの流れが、広がっていく。金融機関を次々に回り、事態を説明し、出資の意義を訴える。当然、渋る相手もある。だが、責務に誇りを持ち、正攻法で説く。翌95年1月に新銀行が設立され、152の金融機関が出資に応じた。
2011年4月に頭取就任。多忙のなか、全国の営業拠点を訪ね、現場の若手と話す「フロントミーティング」を始めた。駆け出し時代の経験を話す。
「最初はつまらない作業の繰り返しにみえたし、先輩の女性に怒られ、何でこんな計算ばかりしなければいけないのか、と思った。でも、伝票の山から、いろいろなことを学んだ。仕事に誇りを持って臨めば、留学もできた。どの部署にいても、取り組む姿勢次第で仕事は面白くもなり、面白くなくもなるよ」
本当に、そうだった。聞いている若手の眼が輝いたのが、うれしかった。「フロントミーティング」は、頭取時代の6年間に48回に及ぶ。
2017年4月、三井住友FGの社長兼グループCEOに就き、2年後に会長となる。財界の要職や政府の審議会委員などを歴任し、活躍の場が広がる。では「度胸と自信」は、次にどんな場でみせるか。『源流』の行方が注目される1人だ。(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2024年1月1-8日合併号