司法面接研修で撮った一コマ。子どもが落ち着ける環境で、子どもに安心して話してもらうようにする=北海道大学にあった研究用模擬司法面接室

 はい、教授の公募が出たので応募したんです。着任してみると、比較的大きなプロジェクトが次から次に来た。それまでは年間50万円から100万円ぐらいの科学研究費を取って個人研究をしていたんですが、北大に行ったらいきなり1000万円のプロジェクトに応募するから共同でやりましょうと言われた。それは不採択になったんですが、その後、文部科学省の大学院改革関係のプログラムがあって、「その代表をやって」と言われて引き受けました。

 当時、人文系の博士号は一生かけて取るもので、大学院在学中に博士号を取る人は少なかった。それを理系と同じように博士課程の3年で学位を取れるようにしたいというのが文科省の意向でした。

雰囲気を醸成していった

――それはすごく大変そう。古いやり方に固執する人がいっぱいいたのではないですか?

 教授会のメンバーは100人ぐらいで女性はほんの2、3人だったんですよ。新しく来たばかりの仲さんはちょっと変わっているし、だからやってもらうか、みたいな感じだったかもしれないですね。

 私、いまの言葉で言えばハイパーアクティブ、多動なんです。子どものころは「おっちょこちょい」って言われていて、これは博多弁で「落ち着きがない」という意味です。大人になって、自分の人生を振り返っても多動であるのは間違いないです。でも、ちょっと変わっているから得したかもしれませんね。なんか、みんな言うことを聞いてくれた。

――え~、本当ですか?

 はい。まあ、実際にはなかなかすぐには動かないですけれど、みんなで冊子を作って「私が思う学位の基準」みたいなものを書いてもらったり、英国や米国をはじめ海外から研究者を呼んできて3年で学位を取る、取らせる工夫を話してもらったり、こちらからも学生を海外に派遣したりして、何となく雰囲気を高めるっていうようなことをやりましたね。

――それで文系も3年で博士号を取れるようになった。いやあ、大きな仕事をされましたね。

 みんなで、だんだんとですね。過大評価しているかもしれない、自分の中で。ただ、この経験があったから、自分の専門の心理学の分野で大きなプロジェクトを動かせたんだと思います。

 2008年から3年間は科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)の「犯罪から子どもを守る 司法面接法の開発と訓練」の代表になり、2011年からは文科省の「新学術領域研究」というプログラムの中で「法と人間科学」という領域を立ち上げ、代表になりました。50人ぐらいの研究者がチームに分かれて研究を進めたんです。RISTEXではもう一度「多専門連携による司法面接の実施を促進する研修プログラムの開発と実装」というプロジェクトの代表を務めました。

――まさに司法面接を日本に定着させるのに中心的な役割を果たしてこられたんですね。そもそも、どうして心理学の道へ?

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