そんな時代を経て、今やネットの普及やLCCの台頭によって、海外旅行はさらに身近なものになった一方で、一世一代の派手な結婚式や新婚旅行は、とんと少なくなりました。特に2010年代以降は、「羽田」が国際ハブ空港として再整備されたことで、「成田」の印象や趣も大きく変わりました。

 依然として成田空港は、コロナ禍前には年間4400万人の利用者を誇った日本最大の「国際空港」です。しかし、「成田離婚」という言葉の情緒を、今の若者に理解しろと言っても無理でしょう。

 そもそも当時はまだ、「離婚」の二文字にはとてつもない大ごと感が漂っていましたが、今や日本人の離婚に対するハードルは、欧米並みに低くなりつつあります。むしろこれは、自由で多様性を望む現代社会において、歓迎されるべき変容です。ところがどうしたものか、離婚率が上がれば上がるほど、離婚を論う世間の声はどんどんネガティブで陰湿になっているように感じるのは私だけでしょうか。

 確かに、個人の選択肢が多様化すれば、昔ながらの保守的かつ封建的な価値観や精神が揺り戻しのように復権するのは世の常です。だとしても、「結婚」というシステム(制度)に、古臭い夢や希望や道徳を押し付けるのは、いつも本人ではなく「他人」そして「世間」なのだなぁと、改めて痛感させられる今日この頃です。

 まあ、だからこそシステムとして社会に守られているのかもしれませんが、私は「成田離婚」くらいの方が、傍観者的にも洒落が利いていて好きです。

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