フランス取材では、モネの終のすみかジヴェルニーの「水の庭」も訪れた。モネはここでいくつもの「睡蓮」を描き続けた(写真:フジテレビ提供)

 フランスでは、パリやジヴェルニー、そしてモネが育った港町ル・アーヴルに行きましたが、その景色や空気に触れ、「絵を描きたくなる人が多いのは必然だな」と。街並みを見ていて、アートが身近なのは必然なのだ、と納得した自分もいました。

――国も時代も異なる一人の偉大な芸術家の人生に触れたことは、自身の仕事観にどのような影響を与えたのだろう。

芳根:まず感じたのは、「続けること」の大切さです。挫折を含めモネの人生をより深く知るようになったことで、モネという一人の人間の輪郭が見えた気がしました。“才能の塊”ではあったけれど、一人前の画家になるために努力を重ねた方であり、やはり諦めずに続けることも大事だな、と。白内障を患っても、そこで終わることなく復活し、画家として再び立ち上がったという事実が格好良く、絵に対する情熱にも憧れます。

モネが育った街、ル・アーヴルの日の出。モネはここで《印象・日の出》などを描いた(写真:フジテレビ提供)

 モネは、自分の描きたい絵でサロンに落選することもあれば、自身は100パーセント納得のいっていない作品で当選したこともあったと聞きました。世の中に認めてもらえるものと、自分がやりたいものが必ずしも一致しない時ってあるんですよね。「私はこういうことをやりたいけれど、他者からはこういうことを求められる」。そんなジレンマは、芸術に携わる人なら誰しもぶつかる壁であり、そうした壁にモネもまたぶつかっていたと思うと、勇気をもらった気がします。

 俳優としての私は、作品との出合いはご縁だと思っていて、あまり「こんなふうになりたい」とは強く思わないようにしているところがあります。でも、「できるならやりたいことで認められたい」と改めて感じましたし、「そうでなければ続けられない」とも思いました。

 つらいことがあっても「違う」「やめよう」ではなく、そこで一度踏ん張ってみる。そうすれば、また道は開けるのかな。そんな“希望”をもらった気がしています。

(構成/ライター・古谷ゆう子)

AERA 2023年11月20日号より抜粋

こちらの記事もおすすめ 【前編はこちら】芳根京子が“100%モネ”を徹底解説 「光の人」を体感できる「モネ 連作の情景」
[AERA最新号はこちら]