『キャプテン・マーヴェル』スタン・ゲッツ
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『キャプテン・マーヴェル』スタン・ゲッツ
『キャプテン・マーヴェル』(輸入盤)スタン・ゲッツ
『キャプテン・マーヴェル』(輸入盤)スタン・ゲッツ

 伝説的なテナー・サックス奏者スタン・ゲッツは、ジャズ・ミュージシャンのなかで「もっとも美しい文章を書く人」だと思う。しかしその文体はちょっと変わっている。句読点の少ないことが特徴に挙げられる。改行は基本にのっとったものだが、油断をしていると「えっこんなところで!?」と思うような個所で大胆に改行してしまう。筆致は常に落ち着き安定し、文章のリズムが速くなっても落ち着き払った表情に変化はない。

 これがぼくのスタン・ゲッツ観のようなものだが、もちろん最初からスタン・ゲッツの演奏や魅力が理解できたわけではない。ちなみにぼくがジャズを聴くようになったのは60年代の終わり、マイルス・デイビスの『カインド・オブ・ブルー』が録音されてからあと少しで10年、『ビッチェズ・ブリュー』が発表(70年)されるまでもう少しという、なにやら落ち着かない時期だった。

 当然のことながら、いわゆるジャズ初心者としての悩みや苦労を味わったが、そのなかに「評判や定説と合わない」ということがあった。つまりジャズの雑誌や本では「定説」あるいは「常識」として書かれていることが、どうも自分の耳にはそのように聞こえない。したがってその定説というものを信じることができず、しかし「定説」というくらいなのだから、おかしいのは自分のほうだと思い、ついつい自分のジャズ体験の未熟さを呪ってしまう。とまあ、そのようなことがしばしばありました。

 ところが人生とはよくしたもので、同じように考えている人間、いわゆるジャズ仲間が知らず知らずのうちに集まってくる。そうすると勇気百倍、おかしいのは自分(たち)ではなく、定説やそれを書いたり吹聴したりしている人たちではないかと考えるようになる。そういう「不一致の渦中」にいたのがスタン・ゲッツだった。定説ではスタン・ゲッツは「クールなサックス奏者」と評され、とにかく「クール」という形容詞が頻繁に出てくる。

 スタン・ゲッツがクールだって!? これが当時のぼくたちの素直な反応と疑問だった。というのもぼくたちが好んで聴いていたスタン・ゲッツのレコードでは、ゲッツは燃えに燃え、まったくクールではなく「ホット」だったのだ。なにも特殊で例外的なゲッツ盤を聴いていたわけではない。ゲッツはいつも燃えていた。やがてあることに気づく。燃えてはいるが端正なのだ。ああ美しい文章を書く人なんだな。と、ここでようやくこの文章の冒頭に戻る。

 ぼくたちが熱心に聴いていたレコードの筆頭が、この『キャプテン・マーヴェル』だった。なんとものすごいメンバーなのだろう。ゲッツ以下チック・コリア、スタンリー・クラーク、トニー・ウィリアムス、アイアート・モレイラとパソコンを打っているだけで燃えてくる。しかもビリー・ストレイホーン作《ラッシュ・ライフ》を除く全曲がチック・コリアのオリジナルときては、これはもう嬉しくて七転八倒してしまう。ちなみにチックが書いた曲は「カモメ」の愛称で知られる『リターン・トゥ・フォーエヴァー』や『ライト・アズ・ア・フェザー』に収録されているが、ゲッツがこのアルバムを吹き込んだ時点では「カモメ」さえまだ発売されていなかった。その単純な事実関係に驚く。そしてこの夢のグループがたとえ1枚だけでもスタジオ録音すなわちこのアルバムを残してくれたことに感謝したい気持ちになる。

 スタン・ゲッツが『キャプテン・マーヴェル』を吹き込んだときは45歳だった。まさしく「燃え盛り」ではないか。背後からチックとスタンリーがゲッツを追い立て、トニーとアイアートが煽りに煽る。とくにトニーがすごい。このドリーム・オールスターズは、当初から一期一会的宿命を抱えていたが、だからこその燃焼と疾走感をもたらし、これほどのスリルが生まれたのだろう。いい夢を見させてもらいました。しかしその夢はいまだに覚めてはいない。[次回6/15(月)更新予定]