山本義隆の『原子・原子核・原子力』は、予備校の特別講演がもとになっている。高校生や受験生たちが聴衆だ。これなら易しく簡単に原子物理学がわかるぞ、と思ったのはぼくだけではないだろう。しかし、甘かった。たくさんの数式が出てくる。40年前、学校で習ったはずなのに(たぶん)、すっかり意味を忘れてしまった記号も多い。
挫折しかけたが、読んでいくうちにコツがつかめてきた。わからない数式は飛ばしてしまおう。すると、古代ギリシアの原子論から現代の核兵器や原発までの流れを大づかみにできる。高い山に登って下界を見下ろした気分とでもいおうか。細かい道路や建物はわからないけど、田んぼが広がっているとか、大きな工場があるとか、広い道路が通っているなんてことが読み取れる。それと同時に、原子力というものがいかに恐ろしいか、とても人間の手に負えるようなものではないこともわかる。
たとえば放射線がとてつもなく大きなエネルギーを持つこと。その危険性には「閾値」──つまり「その値以下なら安全」という考え方ができないこと、等々。
核分裂では元の燃料とほぼ同質量の「死の灰」が残る。灰というから、薪や石炭を燃やしたあとの灰を連想するけれども、「死の灰」は核分裂の破片であり、危険な放射線を出しつづける。原発は発電施設の安全性も問題だが、「死の灰」を含めた使用済み核燃料をどうするかも大問題だ。
よく、自動車と原発のリスクを比較する話がある。自動車だって事故が起きるのに、われわれは受けいれているじゃないか、と。この議論が間違っていることも、本書を読むとよくわかる。自動車はリスクも利益も同一人物かその周辺の人だが、原発のリスクは遠く離れた人や遠い未来の人に押しつけるものだからだ。こんな無責任なものはほかにない。
原発再稼働を求める声もあるけれど、目先のおカネのために人類の未来を奪っていいのか。
※週刊朝日 2015年6月5日号

