作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、街中で遭遇するいら立つ女性たちについて。
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日曜の夕方、閉店間際のカフェで本を読んでいた。広々とした店内に客はまばらで、店員たちも店じまいの準備を始めている。そろそろ帰ろうと本を閉じたとき、少し離れた席に座る女性と目があった。その瞬間、彼女は私に向かって、大きな声で語り始めたのだった。
「いったい、どうなってるよ、この社会!」
え? 私に話しかけてます? 動揺して曖昧な笑みを浮かべると、彼女は「そう、あんたに今、話しかけているんだよ」とでもいうように体ごと私のほうを向き、ペンを握った右手を振りかざしながら私に向かって演説を始めたのだった。
「どう考えても暮らしていけないでしょ。こんな社会。私は怠けたことはない。かなり努力をしてきたし、大学を出てからずっと働いてきた。大学卒業したときは、2桁の給料はもらえてた。2桁よ、2桁。今より若かったのに2桁はもらえてた。でも今は、月曜日から金曜日ま、朝9時からずっと働いても10万円も残らない。これでどうやって生きていけるんだよ」
静かな店内で演説を始めた彼女に、周りがざわつきはじめる。誰かと電話をしているのかなと様子をうかがうが、そうではなさそうだ。なぜか私を直視しながら演説する彼女にどうしていいかわからず、でも目を離せないでいると、店員が慌ててやってきて「お客様、お静かに」と彼女に声をかけた。その瞬間、彼女はしごく冷静でまともな調子で「わかってるから」と言い、何もなかったかのように演説をやめたのだった。
それから彼女は見るからに重たそうな荷物を背負い出て行った。その様子はさっきまで店内の空気を一瞬にして異変させた女性には見えず、きっとふつうに街にとけこんでいくのだろう。
白髪交じりで、深い法令線が走る口元からは50代後半くらいに見えるが、もっと若いかもしれない。もしかしたら同世代かもしれない。リアルな苦痛を訴える生々しい「演説」に、私も彼女と同じ時代を生きてきたことを気が付かされる。そう、“私たち”が20代のとき、まさかこれほど貧しい国になるなんて思わなかったよね、“私たち”が20代のとき、まさかこれほど深い不安に包まれる時代を生きるとは思ってもいなかったよね。何というか……私を選んでくれてありがとう……というのが正解な感想なのかどうかわからないまま、共感と不安を一気に浴びてどっと疲れを感じた日曜夜になった。
最近、「そんな女たち」と街ですれ違うことが多いように感じる。
先日、出張で出かけた地方都市の駅でこんなことがあった。
改札付近で、次の電車を確認するため電光掲示板を見上げていた。見にくかったので一歩後ろに下がったところ、「下がってくるか? おいっ!」と後ろから来た若い女性に追い越しざまに怒鳴られた。
その翌日のこと。今度は都内の電車に乗ったとき、私のカバンが背後に立つ女性の背中にあたった。スーツ姿の30代後半くらいの女性だ。すぐにすみませんと謝ったが「痛い! チッ!」と言われ、私のカバンがあたったところをバイキンを払うみたいな感じで、しっしっとしつこく手で払っていた。どうしていいかわからず、頭を下げたが、もう彼女は私を「存在しない人」のように無視していた。