世襲を批判、お布施に領収書──。寺や葬儀のあり方に一石を投じてきた。“仏教界の革命児”が語る戦争の現実とは。AERA 2023年8月14-21日合併号の記事を紹介する。
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ステージ4の大腸がんと闘病中の僧侶・高橋卓志さん(74)は、これまで3度の手術に耐えてきた。2021年3月、S状結腸がんと診断され、手術を受けた。その後、直腸がんが見つかり、摘出手術とともに肛門(こうもん)を閉鎖し、人工肛門(ストーマ)を造設。昨秋、がんは腹膜に転移し、腹膜播種が確認される。転移巣を切除するも取り切れず、抗がん剤治療を続けている。
原点となった慰霊法要
抗がん剤の副作用による手足症候群での足裏の痛みに加え、直腸がんで失った肛門部の痛みがひどくなり、歩けなくなることもある。強い鎮痛剤オピオイドを服用し、痛みを抑え込んでいるという。長野県松本市の自宅で高橋さんはこう語る。
「苦痛に煩悶(はんもん)する厳しい死路にあろうと一筋の活路を求め、僕は残された命を使い切りたいと思っています。最後の仕事としてやらなければならないことの一つが、戦争の悲惨と不条理を語り継ぐことです」
原点となったのは1978年8月、29歳だった高橋さんが太平洋戦争の激戦地、インドネシア・ビアク島での戦没者の遺骨収集、慰霊法要に臨んだ時のことである。ジャングルの地下にある巨大な洞窟では、日本兵1千人が火炎放射と銃撃で死んだとされている。足首まで浸かった泥水を掬(すく)ってみると、遺骨が次々と見つかった。
慰霊団に参加した遺族の女性は、結婚してわずか3カ月後に夫が召集され、戦死公報でこの洞窟で戦死したと知らされていた。読経が始まると女性は号泣し、その場に崩れ落ちて夫の名を呼び、絶叫した。
「その姿を見て僕のお経は嗚咽となり、止まりました。その時導師から『しっかり読まんか!』と一喝され、全身が揺さぶられる思いがした。戦争が遺族にいかに大きな傷を残したのか。故郷から遠く離れ、家族や愛する人を想いながら死んでいくしかなかった兵士たちの遺骨に触れた体験は、坊さんとしての僕の生き方を劇的に変えました」