『LIVE IN JAPAN』GEORGE HARRISON with ERIC CLAPTON and BAND
『LIVE IN JAPAN』GEORGE HARRISON with ERIC CLAPTON and BAND
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 映画『RUSH』のためのサウンドトラック・アルバム制作と並行して、エリック・クラプトンはもう一つ、大きなプロジェクトの準備を進めていた。ジョージ・ハリスンと日本に向かい、大規模なツアーを行なう。バンドの核は、クラプトン自身と、グレッグ・フィリンゲインズ、ネイザン・イースト、スティーヴ・フェローニ。元オールマンズのチャック・リーヴェル、元エイメン・コーナーのアンディ・フェアウェザー・ロウ、派手なアクションのパーカッション奏者レイ・クーパー、二人の女性シンガーも加わった大編成ユニットでジョージを支え、そこからライヴ・アルバムも発表する。

 じつはジョージは、1974年の『ダーク・ホース』ツアーが酷評されたこともあり、以来、14年間もきちんとした形でステージに立っていなかった。繊細な性格ゆえということなのだろうが、74年は、パティが彼のもとを去った年でもあった。その「親友」をふたたびきちんとした形でステージに立たせる。やや皮肉な書き方をすれば、そういった難しいプロジェクトを実現させることによって、クラプトン自身は90年代初頭に味わった苦悩を払拭しようとしたのではないだろうか。米ローリングストーン誌とのインタビューでは「日本でなら、ジョージが傷つくこともない」と冷静に語っていたのだ。

 91年12月1日から17日にかけて横浜、大阪、名古屋、広島、福岡、東京(ドーム3回)を回ったツアーでは、ビートルズ時代の作品から《タックスマン》、《サムシング》、《ヒア・カムズ・ザ・サン》など、ソロ作品から《マイ・スウィート・ロード》、《ダーク・ホース》、《イズント・イット・ア・ピティ》などが取り上げられた。ハイライトは、7分近いヴァージョンで演奏され、後半、ジョージ/エリックのギターが美しく絡みあう《ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス》。

 コンサート中盤で《プリテンディング》、《ワンダフル・トゥナイト》などクラプトンがフロントに立つ曲も演奏されたが(さすがに《レイラ》はなし)、翌92年夏発表のアルバム『ライヴ・イン・ジャパン』には、ジョージがメインの19曲が収められている。あくまでも、主役はジョージ・ハリスン。クラプトンは冷静に、そういう仕切りを貫きとおしたのだ。

 ジョージ・ハリスンが58歳でこの世を去ったのは、日本でのコンサートからちょうど10年後ということになる、2001年11月。その時期、クラプトンはジャパン・ツアーをつづけていた。11月30日の夜、武道館のステージでギターを弾き、歌っていたときにはもう、親友の死を知らされていたはずだ。[次回4/8(水)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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