松下洸平さん直筆の連載タイトルロゴ
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松下 魔裟斗さんのストイックさは僕が俳優としてやっていく上で絶対に必要なメンタルだと思っていて。そこを極めていらっしゃったのが魔裟斗さんだと思っています。

魔裟斗 ありがとう。でも、今は真逆ですね。35歳を過ぎたくらいから、周囲の人と仲良くしよう、人生を楽しく生きようモードに変わりました。

松下 YouTube「魔裟斗チャンネル」でも若い選手らと積極的にお話しされていますよね。以前のお姿が想像つかないくらいなのですが、変わるきっかけは、何かあったんですか?

魔裟斗 引退後しばらくは、他を寄せ付けないような思考の癖が残っていました。世界チャンピオンとしてのプライドもありましたから。

 でも、子どもができて、幼稚園に通うようになると、今まで出会わなかった人に会うようになるわけです。子どものお友達のお父さんとは、僕もイチお父さんとして接する。魔裟斗ではなく、「〇〇ちゃんのパパ」(笑)。相手に遠慮されないように、最初は自分から積極的に話しかけてましたね。親同士が仲が良いと、子どもたちも安心して仲良く遊ぶからね。そんな日々の中で自分も変わってきて、すごく丸くなりました。

松下 なるほど。これまで魔裟斗さんの試合やインタビューなどを拝見していて、心に残っている言葉があります。「何かを得るためには、何かを捨てなければならない」と。これは現役中に感じられたことですか?

魔裟斗 そうだね。24歳で「K-1 WORLD MAX」で優勝して世界チャンピオンになりましたが、次に勝つまで5年かかったんですよ。最初に勝った後、取り巻く環境が変わったんです。仕事や甘い誘いがいっぱい増えて。その頃、僕は昼ドラに出てる(笑)。

松下 そうだ、そうですね!

魔裟斗 試合をやりながら、映画やバラエティーに出て、イベントにも呼ばれて。夜はいろんな人に食事に誘われて、飲みに行って。もちろん練習は一生懸命やってたけど、やっぱりトップにはなれないんです。「もう終わった」と言われて、悔しくて、絶対に復活してやる、と。もう一度チャンピオンになるために、いろんなものを捨てました。

 格闘技以外の仕事をやめ、夜遊びをやめて早寝早起きをして、強くなるための食事をして。24時間365日、チャンピオンになるためだけに過ごした結果、08年に2度目のチャンピオンになることができました。「何かを得るためには、何かを捨てなければならない」を痛感したわけです。

松下 引退されたのは、30歳の時です。没頭されていたものから離れることに迷いはありませんでしたか?

魔裟斗 いやいや、全く。年齢的には早い方だと思いますよ。だけど、ずっと走り続けてきたので、精神的に疲れてしまって。他の競技だと、選手をケアする体制が整っていることが多いけれど、僕は自分で何でもしてきたから。トレーナーを雇ったり、練習場所を探したり全部。そんなこともあって、なんだか疲れてしまって。

松下 本当にやり切られたんですね。

魔裟斗 2度目の世界チャンピオンになることができたことが大きかったですね。もうやり残しはないな、と。目的が達成できたので、きれいにやめることができた。もし、負けていたら……。いつまでもやめることができなくなっていたかもしれないですね。

○まさと/1979年生まれ、千葉県出身。17歳でキックボクシングを始める。2003年、08年にK-1 WORLD MAX で優勝し世界タイトル獲得。09年、現役引退。現在はYouTubeの「魔裟斗チャンネル」などを手がける

○まつした・こうへい/1987年生まれ、東京都出身。3rdシングル「ノンフィクション」が発売中。8~9月、こまつ座40周年(第2弾)第147回公演「闇に咲く花」に出演予定。9月、映画「ミステリと言う勿れ」公開予定

(構成/編集部・古田真梨子)

※この対談の続き(全4回)は下記に掲載しています。
第2回:AERA 6月12日号(6月5日発売)
第3回:AERA 6月19日号(6月12日発売)
第4回:AERA 6月26日増大号(6月19日発売)

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古田真梨子

古田真梨子

AERA記者。朝日新聞社入社後、福島→横浜→東京社会部→週刊朝日編集部を経て現職。 途中、休職して南インド・ベンガル―ルに渡り、家族とともに3年半を過ごしました。 京都出身。中高保健体育教員免許。2児の子育て中。

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