読んでるだけでへとへとになる。四国八十八カ所を回った気分だ。しかし同時に、疲労の果てにハイな気分で寺から寺へと飛んで回ってるような気にもなる。
 四国遍路がいつから始まり、どのように発展し、今どうなっているのか、ということが書かれていて、お遍路の歴史を知ることができる。地図を見ただけで、目がくらむような距離であり、難所である。車社会の現在ですら行きたくないような山奥の道! そこを歩いていくわけです。ワラジとかで。そしてお遍路にまつわる文化。お遍路をすることも仏への行であり、お遍路さんへの接待をすることも仏への行となる。
 同時に、お遍路をする人は「病気を治したい人」や「ふつうの生活から逃れざるをえない人」も多かったりするわけで、つまり「当時、忌避された人びと」が集まってくる場だったともいえる。それは差別の目にさらされることにもなる。まともな旅館は巡礼姿だと泊めてくれない、なんてことがあったようで、それも無理もないようなボロボロな有り様の巡礼者がいっぱいいたということだ。遍路の途中に死ぬと、後始末をしないといけないので、死にそうな巡礼者に「お粥を食べさせて機嫌を取り、後ろから押すようにして無理矢理に隣村まで連れて行ったり」「村境で巡礼者の行き倒れがあった場合には、こっそり向こう側の村へ押しやったり」「気づいた向こう側の村が押し返し」なんてこともあったとは。
 近代から現代になるにつれて、交通網も整い、レジャーとしての四国遍路が登場してくる。バスツアーなども登場するし、自家用車の巡礼だって当然出てくる。もちろんホテルや旅館に泊まりながらのゆったりした旅だ。
 それでも、自らの足のみで歩き、お接待をありがたく受けながらの巡礼も同時にある。どちらがご利益があるかなどということは関係なく、ただ「巡礼したい」人のために四国八十八カ所は、これからもずっとあり続けるのだろう。

週刊朝日 2015年4月3日号