藤木さんがいつもいたカウンター席に座ると懐かしさが増してくる。毎晩のように一緒でも飽きることはなく、話が途切れもしない不思議な日々だった(撮影/狩野喜彦)
藤木さんがいつもいたカウンター席に座ると懐かしさが増してくる。毎晩のように一緒でも飽きることはなく、話が途切れもしない不思議な日々だった(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年7月24日号では、前号に引き続き三井物産・安永竜夫会長が登場し、尊敬する上司との思い出の地を訪れた。

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 形に、こだわらない。仕事もそうだし、人とのコミュニケーションの取り方、先輩から後輩への伝承でも、そうだ。


 9年先に入社していて、20代後半から何度か上司になり、別々の国にいても「隠れた上司」であり続けた藤木幸久さん。「商社マンは狩人だ」「猟場があれば、行ってこい」と繰り返したのは、自分のやり方を後輩に強要したわけではない。


「それぞれが、それぞれのやり方で、前へ進めばいい」


 教わったことは、多い。なかでも、これが、最も受け継いでいきたい教えだ。


 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れて多様性に触れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。


■銀座のバーで過ごした時間の濃厚さを再確認


 東京・銀座に、藤木さんが開拓したカラオケバー「北洋」があった。40代半ばまで、ともに日本にいれば、毎晩のように一緒に飲んで歌い議論する。一方が語り、思いを渡し、他方が聴き、受け取る。安永竜夫さんのビジネスパーソンとしての『源流』となった、伝承の日々だ。


 ことし5月、そのカラオケバーがあったビルを、連載の企画で一緒に訪れた。


 銀座6丁目の路地からビルへ入ると、すぐ急な階段を上がる構造は、変わっていない。さらにエレベーターで上がり、店のドアを開けて、安永さんは立ち尽くす。店名も経営者も変わったが、カウンターの形も、奥のテーブル席も、カラオケセットが置いてある位置も、同じだった。思わず、声が出る。


「全く、変わっていない。あのころのままだ」


 しばらく、黙っていた。当時のことが、噴水のように、頭に湧き出していたのだろう。やがて、カウンターの一番奥の席を「ここは、藤木さんがいつも座るので『藤木シート』と呼んでいた」と紹介し、勧められると「藤木さんに怒られるなあ」と笑いながら、腰かけた。縦長の店内を見回して、大きく頷く。藤木さんと重ねた時間の濃厚さを、再確認したようだった。


 その後、東京・大手町の本社ビルへ戻ったとき、「本当のことを言うと、あの店の中をみたとき、泣きそうになった」と打ち明けた。『源流』の水は、いまも枯れてなく、一つの流れでつながっていた。

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