作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。ゲストは前回に引き続き元内閣総理大臣の鳩山由紀夫さんです。
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大宮:お父さまも、おじいさまも、5代にわたって東大なんですよね。
鳩山:そうみたいですね。
大宮:そうみたい……(笑)。「おまえも東大行け」と言われたんですか。
鳩山:そう言われた覚えはないんですよ。でも、私の母がいつの間にかレールの上に乗せてくれていました。
大宮:気づいたら乗ってた、と。
鳩山:小中学校は学習院だったので、高校も大学も学習院に行けたわけですよ。でも、家庭教師を何人か用意してくれて、高校は都立の小石川へ。そうなると東大にって話になって。おふくろは兄弟を東大に入れたい気持ちがあったみたいで。弟の邦夫は頭がよかったですけど、私は凡人だったもんですから、東大は高望みじゃないかなと思っていました。
大宮:そうですか。で、東大には一発で現役合格したんですか。
鳩山:すると思わなかったんですけど、合格しちゃったんですよ。
大宮:成績はどうでした?
鳩山:高2の夏に一度模試を受けたら東大に入る確率は5%ですって。
大宮:そこから猛勉強を?
鳩山:勉強がそんなに嫌いだったわけじゃないですから。
大宮:で、工学部に行ったんですね。
鳩山:当時は50年以上前ですよ。日本が戦後復興してきて、小学校の先生に、「これからはいかにしてこの国を興していくかが大事なんだ、だからエンジニアが大事だ」って言われた覚えがあるんですよ。
大宮:小学校の頃の先生の言葉を覚えていて工学部だったなんて。
鳩山:私は政治家になるつもりは全くなくて、弟がなればいいと思っていた。でも、東大の理Iに出願した後、おやじから「なんでおまえ、法学部に行かねえのか」って言われて。
大宮:家族のみなさんは全員法学部だったんですよね。
鳩山:全然考えたこともなかった。
大宮:なりたいものはありましたか。
鳩山:別にないんですよ。力仕事が向いてないので、できるだけ頭を使っても体は使わないところ、と思って。それで工学部の計数工学科っていう今でいえばコンピューターサイエンスみたいなところに行きました。
大宮:学者の道に進まれたんですね。
鳩山:東大を出て留学したのですが、でも、先進的研究をされていた先生が「サバティカル」だったんですよ。