芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、「」について。

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「猫は鳴きますか?」

 変な質問ですね。これでエッセイを一本書く自信はないですが、こちらからお題をお願いしたんですから、変な質問でも文句は言えません。

 確かに猫は犬みたいに吠えたりはしないので、その存在は静かなものです。猫は、例えばエサを要求したり、何か窮地に陥った時とか、肉体的苦痛のある時には鳴きますが、別に用のない時は静かに眠っていることが多いですね。

 わが家の「おでん」は顔を見合わせた時に、時々声なき声で、口を小さく開くことはありますが、まあちょっとした挨拶なんですかね。それも面倒臭そうに口を小さく開くだけです。だから猫は相対的に無口で、余計なことはしゃべりません。おしゃべり好きな人間は猫から見ると、ウザイやつだなあと思っているんじゃないでしょうかね。人間は用もなく、おしゃべりのためのおしゃべりをしますが、猫はその点、省エネ的で、人間みたいにしゃべり過ぎて疲れたというようなことはないんじゃないでしょうか。猫からすれば、食べるための口ではなく、人間はしゃべるために口があるんだと思っているはずで、実にうるさい存在だと思っているはずです。

 猫の口は生きるために不可欠ですが、人間みたいに生きるため以外にも口を動かす動物を見て、どことなくそんな人間を軽蔑しているように思います。しゃべるエネルギーは相当疲れます。人間以外にこんなにペチャクチャしゃべる動物は他にいないと思います。

 人間でも、そんなにしゃべらない人も沢山います。しゃべらないと、何を考えているかわからないけれど、むしろ寡黙な人の方が、物事を深く考えているように思います。よくしゃべる人間の方が軽薄に見えることがあります。僕が禅寺に参禅していた頃は、余計な会話は禁じられていました。しゃべらないことで意識を内面化させる修行だったように思います。坐禅中は言葉を禁じられているので、つい睡魔に襲われることがありますが、ウトウトしていると、雲水がそろっと近づいて警策で肩をビシッと叩かれます。口をきかないことと眠りは別のものです。その点、猫は一日中眠っています。余計なことを考えないためですかね。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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