今も昔も、子供たちはバトルゲームが大好き。バトルカードやゲーム機がない時代でも、独楽やメンコだけではなく、野山の生き物でバトルをしていました。カブトムシやクワガタ、蜘蛛や松葉は有名ですが、野の草でも子供たちはバトルをしました。
可憐な姿に似ず、意外にも逞しくバトルに参戦していた存在、それが“太郎坊”です。

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なぜタロウボウと呼ばれたのか?

子供たちは、太郎坊と次郎坊という草の茎を引っ張り合い、松葉相撲のように戦い合わせました。聞きなれない名前ですが、「次郎坊」という名前は今も残っています。四月から五月に赤紫の花が咲くジロボウエンゴサクという野草がそれです(エンゴサクとは漢方の延胡索のこと)。では「太郎坊」とは?
実はそれは誰でも知っている可憐な花の代表、スミレのこと。「スミレ」という名前は、大工道具の「墨入れ(墨壷)」に似ているから「スミイレ」と呼ばれたのが変化したという説と、「相撲取り草」が縮まったという説もあるのです。ジロボウもスミレも、野辺のどこにでもあるので、遊びに使われたのでしょう。

スミレの王国、ニッポン

日本はスミレが多いことで知られ、50~60種のスミレが全国に自生する、世界一のスミレ王国です。
violetの代名詞でもある濃い青紫のスミレのほか、ピンク色のアカネスミレ、白い花のマルバスミレ、薄桃色の叡山スミレ、黄色の鮮やかなキバナノコマノツメ・・・
もっともよく見かけるのは明るく鮮やかな薄紫の花をつけるタチツボスミレです。街中で「あれっ、こんなところにスミレが」と目についたら、それはほぼ間違いなくタチツボスミレ。
「タチツボ」とは「立ち坪」で、すっくと立ったように見える姿と、そして庭(坪)のどこでも勝手に生えてくるのでこの名がついています。

実は、スミレには足がある!

そう、スミレはいたるところに自生しています。
敷石の隙間や放置した植木鉢から突然生えてきてびっくりしたことはありませんか? 石垣の間、道路の割れ目、木のくぼみ…なぜこんなところに? という場所から自在に生えてくるスミレ。それは蟻がすみれの種子を運ぶからなんです。
スミレの種子はエライオソームと言うアリの好む物質を分泌し、アリはさかんにスミレの種子を食料として巣に運びます(ちなみにスミレの実鞘は中心から三つに割れた形でかわいらしく、是非この春スミレを気をつけてみてください)。
食べ残した種子が発芽して、様々なところで花を咲かせます。こうしてスミレは分布を広げるだけではなく、アリが巣を掘って捨てた柔らかい土がスミレの苗床にもなります。アリとスミレは共依存関係にあるのです。

春の野に すみれ摘みにと 来こしわれそ 野をなつかしみ 一夜寝にける(山部赤人)
山路来て なにやらゆかし すみれ草(松尾芭蕉)
先人がそう歌ったように、いつの時代も日本人が心魅かれるアイドルフラワーだったようです。