これは今から何十年も前の話。まだ作家として駆け出しだった椹野道流さんは、当時80歳を超えていた母方の祖母と二人きりでロンドンを旅することになりました。書籍『祖母姫、ロンドンへ行く!』は、そんな祖母と孫娘の笑って泣ける英国紀行です。
きっかけは、椹野さんが親戚たちの前でイギリス留学中の思い出話をしたところ、そこにいた祖母がふと「一生に一度でいいからイギリスに行きたい。お姫様のような旅がしてみたいわ」と漏らしたことでした。それを聞いた伯父たちは「自分たちが資金を出すから連れていってやってはどうか」と椹野さんに談判。他人のお金でイギリスへ遊びに行けるという下心から「いいよぉ」と請け合ったことで、祖母と孫娘の5泊7日の豪華イギリス旅行が成立したのでした。なんたって行き帰りは日本の航空会社のファーストクラス、そして宿泊はロンドン中心部の五つ星ホテル! しかし、このときまだ椹野さんは気づいていませんでした。無邪気でワガママな"祖母姫"の世話をたったひとりでするのがどれほど大変かを......!
出発時からして、免税店でお買い物モードに入るのをなだめたり、お手洗いに行きたいという火急の用に応えたりとせわしないことこの上なし。無事イギリスに到着したものの、その後も椹野さんは、祖母姫の無茶振りに応えるべくあちこち奔走することに......。はてさて、ツアーコンダクター兼秘書役となった彼女は祖母姫をみごと満足させることができるのでしょうか!?
同書の魅力のひとつは、なんといっても旅の描写。大英博物館にロンドン塔、老舗デパートのハロッズにフォートナム&メイソン、オリエント急行の乗車......とイギリスの名物や名所が次々に登場し、読者もふたりと一緒に旅をしているかのような気分を味わえます。
そんな中でも、大英博物館では「干物や石ばっかり見せられてもね......」なんて感想を漏らし、ハロッズではコートを試着して「こんなものなら、どこにでもあるでしょう」とあっけらかんと言ってのける祖母姫には思わずクスリとさせられます。それでいて、『オペラ座の怪人』を鑑賞した際には、作品の肝となるキャラクターについて的確に評し、椹野さんに「頭の中に莫大な記憶と経験と知識を詰め込んだ、偉大な人生の先輩」として再認識させるのですから、祖母姫おそるべし。読者は彼女のチャーミングな人柄のトリコになってしまうことでしょう。
そしてもうひとつの魅力が、人と人とのふれあいです。「私が祖母と、率直に心をさらけ出して長い話をしたのは、あの夜が最初で最後でした」「こんなに親密になれた一瞬があったのに、何故また、そこはかとなくよそよそしい、希薄な関係に戻ってしまったのか」(同書より)と椹野さんは悔やみますが、それこそが旅という非日常がもたらす魔法なのかもしれません。
さらに、滞在先のホテルスタッフたちとのふれあいにもグッとくるものがあります。特に、バトラーとして何かとふたりを助けてくれたティムが椹野さんをある場所に連れ出そうとする場面は、映画のクライマックスシーンを観ているかのようです。国境や立場を超えたふたりのやりとりにホロリと涙がこぼれそうになります。
ときに笑って、ときにじーんと胸が温まる、珠玉の旅エッセイ。人の優しさや温かさ、心に響く言葉が詰まった同書は、きっとみなさんにとって格別な一冊になるのではないでしょうか。
[文・鷺ノ宮やよい]