在モンゴル日本大使館 元公邸料理人 鈴木裕子さん(54)[写真:本人提供]
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 野菜を食べる習慣がないモンゴル人のために、野菜本を出版した人がいる。もともとは保育園の給食調理人で、モンゴル語も英語もほとんど話せなかったという。いかにして公邸料理人のキャリアを手に入れたのか。AERA 2023年6月26日号から。

【写真】焼き石を首から詰めて山羊一頭を丸焼き

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「今しかできないことを全力で追いかける。損得は抜きでいい」

 この言葉がぴったりくるのが、在モンゴル日本大使館元公邸料理人・鈴木裕子さん(54)だろう。鈴木さんは18年間続けた保育園の給食調理人から、モンゴル語はおろか英語もほとんど話せないまま、48歳で在モンゴル日本国大使館公邸料理人に転身した。

 きっかけは、国家資格である専門調理師・調理技能士への挑戦だった。この資格は、日本、西洋、中国、すし、麺、給食用特殊と、6部門に分かれているが、鈴木さんは約10年をかけて全てに合格した。

「料理が好きで、特に食べることは本当に大好き。でも、価値がわからず消費するのはもったいない。価値をわかる人になりたいという思いが募ったんです」

 ジャンルごとに異なる調理器具をまずは揃えるところから始め、教えてくれる師匠、場所までを自分で探した。

「この“無茶苦茶な背伸び”がよかった。自分に自信はなかったのですが、特別に時間を作って教えてくれた人の期待を裏切りたくないと、エンジンがかかったのです」(鈴木さん)

 趣味で参加していた食の集まりで、高級レストランや高級食材の会の際、「場違いではない自分になりたい」と思ったのも、学ぶ原動力になった。

「『何でもおいしい』ではなく、『これがおいしい』『今回はここが残念』とわかりたい。料理人に『この料理を食べさせたい』と思われる食べ手になりたい」

 資格試験をクリアし、学んだことを生かしたいと考える中で、見つけたのが公邸料理人の募集。モンゴルの日本大使館だった。

──外国で料理をするのは面白そう。大学で外国語を学ぶ娘に、アドバイスする経験ができるかもしれない。両親が元気な今なら。そう考え、「受けるなら、受かるための努力をする」という精神でぶつかって、なんと採用された。

 公邸料理人は「食の外交官」とも呼ばれる。大使館で開かれる会食やパーティーの料理作り、大使夫妻の日々の食事作りを担う。超乾燥地帯で年の半分が氷点下のモンゴルでは、会食やパーティーで出す日本料理の食材を手にいれるのも一苦労だった。

 知恵やひらめき、発想の転換が求められる仕事の合間に、鈴木さんは積極的に街に出て、ジェスチャーとカタコトの英語で、モンゴル人の友人の輪を広げていった。そして、彼らと・モンゴルならではのおいしいもの・を堪能した。処理したての羊の血と内臓のスープ、羊の尻尾の肉、ホルホグ(羊丸焼き)、ボルツ(干した牛肉)、オーラック(初乳を蒸して固めたもの)……。

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