「編集部あるある」を関係者一同で再現。パソコン類はすべて片付け、懐かしい表紙の、本誌バックナンバーを随所に配置した[表紙撮影・演出=浅田政志、ドキュメント撮影=上田泰世(写真映像部)、文=伏見美雪(本誌)、デザイン=近藤琢斗・佐藤桜弥子(FROG KING STUDIO)]衣装=バースジャパン
「編集部あるある」を関係者一同で再現。パソコン類はすべて片付け、懐かしい表紙の、本誌バックナンバーを随所に配置した[表紙撮影・演出=浅田政志、ドキュメント撮影=上田泰世(写真映像部)、文=伏見美雪(本誌)、デザイン=近藤琢斗・佐藤桜弥子(FROG KING STUDIO)]衣装=バースジャパン
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 日本最古の総合週刊誌が101年の歴史に幕を下ろす。雑誌メディアが過渡期にあるなか、恐縮ながら、象徴的な出来事ではあるまいか。最終号の表紙には、ありのままの編集部の姿を残してはどうか。

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 そう提案すると、部員の口から次々と「編集部あるある」エピソードが飛び出し、それまで重苦しく停滞していた会議の空気は一変。週刊誌が最も勢いのあった、古き良き昭和時代の編集部を表紙に、という方向性が瞬時に決まった。

 ならば、“演出写真”の第一人者、浅田政志さんに撮影をお願いできないか──本誌の表紙撮影は初めてではないとは言え、唐突な依頼にもかかわらず、浅田さんは「光栄です」と即座に快諾してくれた。

浅田さんが一人ひとり演技指導をした[表紙撮影・演出=浅田政志、ドキュメント撮影=上田泰世(写真映像部)、文=伏見美雪(本誌)、デザイン=近藤琢斗・佐藤桜弥子(FROG KING STUDIO)]
浅田さんが一人ひとり演技指導をした[表紙撮影・演出=浅田政志、ドキュメント撮影=上田泰世(写真映像部)、文=伏見美雪(本誌)、デザイン=近藤琢斗・佐藤桜弥子(FROG KING STUDIO)]

 事前に編集部をロケハンし、どこに何人配置してどう撮るか、打ち合わせを重ね、キャスト表を作成。必要な小道具を準備していく。

浅田政志(あさだまさし)/ 写真家。1979年、三重県生まれ。2009年、家族を被写体とした〝演出写真〟の写真集『浅田家』で第34回木村伊兵衛写真賞を受賞。20年には同写真集と『アルバムのチカラ』の2冊を原案とした映画「浅田家!」が公開され人気を博した。この夏、「キヤノンギャラリー50周年企画展」として、東京・品川のキヤノンギャラリー S(6月24日~8月7日)、キヤノンギャラリー銀座/大阪(いずれも7月4~15日)で写真展を同時開催[表紙撮影・演出=浅田政志、ドキュメント撮影=上田泰世(写真映像部)、文=伏見美雪(本誌)、デザイン=近藤琢斗・佐藤桜弥子(FROG KING STUDIO)]
浅田政志(あさだまさし)/ 写真家。1979年、三重県生まれ。2009年、家族を被写体とした〝演出写真〟の写真集『浅田家』で第34回木村伊兵衛写真賞を受賞。20年には同写真集と『アルバムのチカラ』の2冊を原案とした映画「浅田家!」が公開され人気を博した。この夏、「キヤノンギャラリー50周年企画展」として、東京・品川のキヤノンギャラリー S(6月24日~8月7日)、キヤノンギャラリー銀座/大阪(いずれも7月4~15日)で写真展を同時開催[表紙撮影・演出=浅田政志、ドキュメント撮影=上田泰世(写真映像部)、文=伏見美雪(本誌)、デザイン=近藤琢斗・佐藤桜弥子(FROG KING STUDIO)]

 そして当日。浅田さんは撮影開始の5時間前に編集部入りし、撮影のセッティングをしながら、懐かしいバックナンバーなどを随所に配置。やがて集結したさまざまな服装に身を包んだ部員らに、立ち位置と役割とを伝えていく。何度か試し撮りを重ね、照明や位置を微調整。だが、何よりも浅田さんがこだわったのが、表情や動きだった。33人もいるスタッフ全員の体の動き、小道具の使い方から表情までを細かくチェックし、演出していく。結果、自然ながらも可笑(おか)しみのある一枚写真が仕上がった。合成などは施していない。

表紙撮影・演出=浅田政志、ドキュメント撮影=上田泰世(写真映像部)、文=伏見美雪(本誌)、デザイン=近藤琢斗・佐藤桜弥子(FROG KING STUDIO)
表紙撮影・演出=浅田政志、ドキュメント撮影=上田泰世(写真映像部)、文=伏見美雪(本誌)、デザイン=近藤琢斗・佐藤桜弥子(FROG KING STUDIO)

 コロナ禍からの、休刊決定。人少なで、ぎくしゃくとした重い空気が立ち込めていた編集部に、久しぶりにたくさんの笑顔が満ち、一体感が生まれた瞬間でもあった。

 時代がまたひとつ、変わっていく。

週刊朝日  2023年6月9日号