私は、この小学校での「残さず食べなさい」はゆるく続けてもいいが、中学校ではもうそこまで指導すべきではないと考える。様々な事情で、食べられない子もいるからだ。自分が太っていると思われることが嫌で、ダイエット中の子も含む。

 もっとも親の世代が平気で食事を残して残飯を捨てる風潮がある中で、どれほどこの美徳が維持されるのかは微妙だ。コンビニやスーパーのお惣菜やお菓子の廃棄を含め、日本では1日に1500万食がゴミになっていると聞く。1500万人分ということは、ちょうど全世界で餓死する子どもの数に等しい。これを瞬間冷凍して栄養を閉じ込めたまま錠剤にし、地下のトンネルもしくは地球周回軌道から瞬間で移送できるようにすれば、日本で余る食料で世界の飢餓が救える。そんな技術が開発されないだろうかと、真剣に考えたくもなる。

 とはいえ、日本人独特の暗黙のルールによる“圧”を、毎日の学校で体験させてはいけない。

 こんなこともあった。ずいぶん前のことだが、保護者の中に給食に関わるとんでもないクレーマーがいて驚いたのだ。

 曰く「給食費を払っているんだから、いただきますなんて、言わせるな!」というのである。これには笑うしかなかったが、食べ物を前にして(人間が食するために殺された牛や豚や鶏や魚のためにも)、「いただきます」と感謝するのは当然の礼儀だろう。

 手を合わせるかどうかは個人の自由だけれど、何も宗教的な行為を学校が強要しているわけではない。私見だが、日本人に限らず、手を合わせるのは感謝を素直に表す人間の美しい姿だと思う。

 それにしても、ほとんどの自治体で、給食費が相変わらず保護者から費用をいただく私費会計なのは残念だ。児童生徒からの徴収行為が担任の先生の負担にもなっている。経済的に厳しい子に督促するのは心苦しいからだ。

 東京都では私立中学に通っている子にまで助成金を出すようだが、そんな予算があるのなら、経済的に厳しい子には、中学までの給食を無料にする方が先ではないか。

●藤原和博(ふじはら・かずひろ)
1955年、東京都生まれ。教育改革実践家。78年、東京大学経済学部卒業後、現在の株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任し、93年よりヨーロッパ駐在、96年、同社の初代フェローとなる。2003~08年、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校の校長を務める。16~18年、奈良市立一条高等学校校長。21年、オンライン寺子屋「朝礼だけの学校」を開校する。 主著に『10年後、君に仕事はあるのか?─未来を生きるための「雇われる力」』(ダイヤモンド社)、『坂の上の坂』(ポプラ社)、『60歳からの教科書─お金・家族・死のルール』(朝日新書)など累計160万部。ちくま文庫から「人生の教科書」コレクションを刊行。詳しくは「よのなかnet」へ。

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