「給食を残してはいけない」という校則はないが、それを強要する風潮があるのは事実だ。給食指導は教員が複雑な業務の中で気を遣っていることの一つでもある。教育改革実践家の藤原和博氏は新著『学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール』(朝日新書)の中で「親が平気で残飯を捨てる風潮がある中で、どれほどこの美徳が維持されるのかは微妙だ」とつづる。同書から一部を抜粋、再編集し、学校給食のウソくささを紹介する。
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私が大阪府知事特別顧問に就いたとき(2008年)、大阪の中学校での給食実施率はわずか8%だった(当時の全国平均が80%)。これは、当時の教育委員の中に「お弁当はお母さんが作るのが当たり前、その愛情が人間形成につながる」という教育観を持った人物がいて、「中学校の給食」がタブー視されていたのが理由だ。
しかし、現場を冷静に観察すると、生活保護世帯や就学援助世帯など、そんな余裕を持たない家庭も多い。毎日の弁当作りは、想像以上にハードルが高い。そんな子どもたちは何も持ってこないので、お昼の時間になると隠れたり、外に水だけを飲みに行ったりしていた。小学校までの給食は、そうした生徒たちの命綱になっている現実が、大阪にはあった。
そこで、私たちのアドバイスを受けて橋下徹知事(当時)が2011年度から5年間で総額246億円の予算を注ぎ込んだ。結果、次第に中学校での給食実施校が増え、現在では6割を超えている(小学校はほぼ100%実施)。
ここで考えたいのは、この給食を「残さず食べなさい」という暗黙のルールについてだ。「給食は残さず食べること」を校則にしている学校は存在しないと思う。
でも、それを強要するような集団圧力は明らかにかかっている。
とくに小学校では「給食指導」は担任の先生の役割で、かなり気を遣っている。
「食べ物は残さず食べなさい」だけでなく、小学校での掃除の時間の「雑巾の絞り方」や「廊下の磨き方」、服装の礼儀として「シャツの裾をだらしなく出したままにせず、ズボンやスカートの中に入れる」や「靴の踵を踏んで歩かない」という生活指導も広範にある。外国の見学者からは羨望の眼差しで見られていて、アジア諸国の中には真似をしている国もあると聞く。