澤康臣(さわ・やすおみ)/1966年、岡山市生まれ。ジャーナリスト、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。東京大学文学部卒業後、2020年まで共同通信記者。著書に『英国式事件報道』『グローバル・ジャーナリズム』など(撮影/写真映像部・松永卓也)
澤康臣(さわ・やすおみ)/1966年、岡山市生まれ。ジャーナリスト、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。東京大学文学部卒業後、2020年まで共同通信記者。著書に『英国式事件報道』『グローバル・ジャーナリズム』など(撮影/写真映像部・松永卓也)
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 AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

 この20年でデジタル情報の総量は1万6千倍となった。社会問題を議論し、解決するのに必要な情報を得るのは、難しくなるばかり。権力者に都合の悪い事実は隠され、SNSにはデマや誤情報が氾濫……記者はどうやって権力の不正に迫るのか。SNSと報道メディアは何が違うのか。実名報道は必要なのかといったジャーナリズムのあり方と情報の見極め方を解説した力作『事実はどこにあるのか 民主主義を運営するためのニュースの見方』。著者の澤康臣さんに同書にかける思いを聞いた。

*  *  *

 日本のテレビニュースでインタビューを受けている人をみると「クビシタ」(顔なし)映像が多いことは日常茶飯事であるが、活字で言うと匿名でコメントしているのと同じことになる。これが異常であることは日本だけを見ているとなかなか気づかない。

 共同通信で30年間記者を務め、現在専修大学文学部ジャーナリズム学科で教授をしている澤康臣さん(56)はこう語る。

「入社して10年間ほどは匿名派でした。しかし、ニューヨーク・タイムズなど欧米の一般紙は実名が基本で、テレビも顔出しが基本です。読んでいるとパワフルで、市民に対して責任を果たしています。今の日本はガラパゴス化していて、ジャーナリズムのスタンダードから大きくずれています」

 確かに事件や裁判に巻き込まれた場合、本人は実名を出されるのがいやであると思う場合もあるだろう。

「世の中から見たら大事な出来事である場合、本人が望まないかは関係ありません。匿名にすると検証不可能になるのです」

 実際後から検証するために、匿名でコメントしている人を特定しようとして、実在しない人物であったことを私は何回も経験している。市民は嘘を読まされていることになる。

 本書に<報道のおきて一〇カ条>が書かれているが、そのいくつかを紹介する。<ジャーナリズムの第一の責務は真実である><第一の忠誠は市民たちに対するものである><その真髄は事実確認の厳格さにある><その仕事をする者は報道対象から独立を保たねばならない><市民もまたニュースに関して権利と責任がある>

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