左のレコード・プレーヤーがLP12、右がガラード401。それと、モノラル・アンプ。左下が、DS。(撮影/小熊一実)
左のレコード・プレーヤーがLP12、右がガラード401。それと、モノラル・アンプ。左下が、DS。(撮影/小熊一実)
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オーディオ・セット。コードがぐちゃぐちゃで、恥ずかしい。(撮影/小熊一実)
オーディオ・セット。コードがぐちゃぐちゃで、恥ずかしい。(撮影/小熊一実)

 今年1年を振り返ってみる。と書いて、昨年はどうだったんだっけ、と探してみると、第41回が、2013年のまとめの回だった。
 文中、「環境が整うと、やはりハイレゾ音源は、聴いていて気持ちがよい」と書いている。といっても、まだ、この頃は、多くの賛同を得られるという感じではなかった。マニアだね、といったところだろうか。

 ところで、12月22日の朝日新聞デジタルの記事に「ハイレゾ、音楽市場が期待『情報、CDの3~7倍』高音質配信音源」という記事を発見した。その中で、ハイレゾ音源の「売り上げ400%増」とある。その理由として、「3万円を切る携帯プレーヤー」の登場を紹介し、「昨年ごろから『ハイレゾ元年』と呼ばれるほど普及が加速」とある。なるほど、この1年で、大きく変化していたのだ。

 一応書いておくが、ハイレゾ音源というのは、CDに比べ情報量が多い音楽データである。だが、データが大きいということは、基本的には、よい音になるはずなのだが、実際には、かならずしも聴いて気持ちがよいという保証はない。聴き比べると、CDのほうが気持ちよいというものもある。レコードとCDとどちらが聴いていて気持ちがよいか、という話題がでるが、アルバムごとに、聴いてみないとわからないというのが、わたしの意見だ。CDとハイレゾにも同じことがいえる。
 もちろん、情報量が多いというのは有利であるわけで、ミュージシャンが録音したデータと同じレベルのものを手に入れることができるようになってきたわけだ。

 もうひとついえることは、CDなどのようにパッケージされたものではなく、配信されたデータとして手に入れるようになってきたということだ。LPレコードの時代には、30センチ四方のジャケットにデザインされたものは、美術品としても観ることができたが、CDになって小さくなり、その迫力が弱くなってしまったと思っていた。ところが、ダウンロードして聴くようになってしまっては、手に取って見ることもできない。しかし、モニターを通してみることはできるようになった。モノが増えてしかたがない、と嘆いているわたしのような人間には、それもよいのかもしれない。

 先日も友人と話したのだが、LPの時代には、レコードについている解説が、そのミュージシャンについての重要な情報源だった。だから、輸入盤ではなく日本盤を買う意味があった。この音楽を演奏しているミュージシャンが、どこの国の何年生まれの人なのか。どんな人の影響を受けて、どんな経歴をもち、何枚目のレコードなのか、など、雑誌では取り上げられないような情報を知る一番の情報源だったのだ。
 しかし、今ではネットで調べればすむことなので、よほど充実した解説や持っていたいという所有欲を刺激するようなモノにしないと、ダウンロードやCDレンタルでリッピングすればすんでしまうことになる。

 最近、ネットワーク・プレーヤーを買った。リンのMajik DSだ。それまでは、パソコンに入れた音楽データをDA変換して聴いていたのだが、パソコンのファンの音が気になるのと、DSの方が音がよさそうなので購入した。DSは2008年の発売というから、新商品というわけではないのだが、プログラムのファームアップなどもあり、進歩し続けているという。

 使い始めて感じたことは、まず、使い勝手がよいということである。わたしの場合、iPadで選曲をして、曲を選び、プレイしているのだが、これが便利。4TBのハードディスクがいっぱいになってしまうほどの音楽データの中から、アーティスト名、アルバム名、ジャンル、または、それぞれの掛け合いなどで検索することができる。我が家の音楽用のパソコンはデスクトップなので、机に向かわないと曲の選曲ができなかったのだが、いまではソファーに座って操作できるようになった。これは快適だ。ちなみに、4TBのハードディスクには、数千枚分のCDのデータが入っている。

 音に関しては表現がむずかしいのだが、わたしは好きだ。このような言い方は誤解を招くかもしれないが、日本のオーディオ製品は、スペック的には優れているのだが、聴いて気持ちがよい製品、もっていてうれしい製品というと、海外製のものを選んでしまう傾向がある。車でも似たようなことがいえるかも知れない。日本車の方が故障も少なく、使い勝手もよいといわれるが、外車の中には、それを超える魅力をもったものがある、というようなことだ。
 これらは趣味の問題で、古い真空管アンプを使っているようなある人たちからは、変人扱いされるようなわたしの意見なので、読み流してもらってよいのだが。

 それから、SP盤を聴くようになった。不思議なもので、デジタルで便利になってくると、手間のかかるSP盤やら、モノラル専用のアンプなどをいじってみたくなってきたのである。
 我が家にはSP盤のプレーヤーがあったのだが、すでにゼンマイが壊れてしまっていて、きちんと回転しないものであった。しかし、使っているレコード・プレーヤーの中には、ガラード製のものがあり、このプレーヤーは、78回転の再生が可能でSP盤を聴くことができる。SP盤にはSP盤用のカートリッジが必要なので、それも購入した。
 SPレコードも、カザルスの《白鳥》など主にクラシックを聴いていたが、そのうち《ハイヌーン》とか《東京ブギウギ》とか《地球の上に朝が来た》とか、小唄や浪曲なども聴き始めてしまった。最近は、《三味線ブギ》の市丸ねえさんがお気に入りだ。

 けっきょく電気再生では満足できず、ゼンマイ式のポータブル・SPプレーヤーを購入した。SPプレーヤーの針は、鉄製のものが中心だが、1回かけると交換する、使い捨てが基本である。音の大きさは、針の太さで決まる。竹針というのもある。こちらは1回再生するごとに、専用のはさみで切って、新しい面を出して次の再生をする。サボテンの針も使う。ワシントン条約で、このサボテンは「絶滅に瀕していて保護しなければならないもの」に指定されているとのことで、それなりに高額(1本500円くらい)だが、こちらは、削れば、減るまで何度でも使える。1曲かけるたびに、手間がかかるわけだ。

 DSの納品のときにいらしたリンの技術者の古川さんが、我が家のレコード・プレーヤーLP12のチェックもしてくれた。回転数を調整し、そのほか2~3箇所いじっていた。古川さんがいるあいだに、LP12を使ってレコード再生することはなかったのだが、あとでレコードをかけて驚いた。それまでのレコード再生の音と明らかに違うのだ。古川さんは、LP12の調整にかけては、日本で第一人者と噂されている方なのだが、こんなちょっとの微調整で音の気持ちよさが激変してしまうのには驚いた。また、ご自分の扱っている製品に対する愛情も同時に感じた。素晴らしいことだと思う。

 このような微妙な違いこそが、音楽を聴く楽しみなのだとわたしは思うのだ。演奏家たちが少しでもよい音楽を奏でるために、必死で練習をする。それを聴くためにも、細やかな努力は必要だと、わたしは考える。

 オススメ・ライヴ情報というより、わたしのオーディオ報告になってしまった。でも、音楽って楽しいですよね。来年も、よろしくお願いします。[次回1/7(水)更新予定]

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