日本のミステリー小説の歴史なんて考えたこともなかった。子供の頃、学校の図書室で読んだ古い『かいとうルパン』や『シャーロック・ホームズのぼうけん』が、何か妙なもので、単に子供向けというだけではない独特のものがある、と感じていたものだが、この本を読むと、「そうか、外国の怪盗だの探偵だのの概念を、明治大正の日本に持ち込むのってたいへんだったんだ!」ってことがよくわかります。
『赤毛組合』では「赤毛であること」がすごく重要なのだけれど、当時の日本で赤毛って言われてもぴんとこないし、生理的な衝撃も与えづらいっていうんで、赤毛をハゲに変える、という方法で乗り切った、とかさ。「本来赤毛は何かしらミステリアスな展開を予兆させる要素であった。それに対し、禿頭ではそれがまったく機能しない。それどころか逆にすっかり緊張を緩和する方向へと向かわせてしまうおそれがある」。そりゃそうだ。でも当時の新聞に載った、「赤毛組合」ならぬ「禿頭倶楽部」(このタイトルの直球っぷりは素晴らしい)のハゲたおっさんのさし絵(大マジメな絵である)が、たまらぬ可笑しさをかもしだす。こういう「外国風俗をムリヤリ持ってきたドタバタ」の時期を経て、日本でも独自のミステリー小説文化が育っていく。
最後に紹介されているのが、日本ミステリー三大奇書のひとつ、中井英夫の『虚無への供物』であるのもしゃれた構成だと思う。ただ、ここで『虚無…』におけるホームズ役は「作品唯一の女性登場人物」と書いてあって、ええ? それって奈々村久生(シャンソン歌手)のこと? えーそうだったの? 私はずっと藤木田老がホームズ役だと思ってたよ、と驚いた。
あと、本書の眼目とはまったく関係ないんだが、「火サスの人」(「『火曜サスペンス劇場』の人」の省略形)という言葉は檀一雄の『火宅の人』を意識してのネーミングだろうっていうのも、私には思いがけない指摘であった。
※週刊朝日 2014年10月31日号