足利義昭。十五代、最後の足利将軍。義昭、がんばっている。この本を読んでしみじみ思うのがそれ。幼い頃に出家して(もちろん自分の意志じゃない)権力と切り離されて生きてきた将軍家の次男が、兄将軍が殺されていきなり世間に出てくる。
有力大名によって出てこさせられる。と聞くとあからさまに「傀儡!」と思い、実際そう言われてたりするが、残された書状や日記の類から見ていくと、ものすごくしぶとくがんばってるのだ。
当時、足利将軍は力も衰えていて、京都にいることすらできないような状態であり、義昭も近江の地で京都を狙っていた。その時に目をつけて組んだ相手が織田信長。お互い上洛を狙っているので、いいコンビとも言えるのだが、何かこう、見ただけで破局の予感があるコンビでもある。で、予感通りうまくいかなくなる、その過程がこの本を読むとよくわかる仕組みです。決定的だったのが、信長が出して世間に流布させた十七カ条の異見書で、その内容は「義昭という人間は強欲で吝嗇(りんしょく)、幕府の人事・待遇も私情によって行われている」という人格攻撃だった。戦国史研究家の著者は、「(義昭は)批判された通りの人間だったのであろう」と書いている。義昭はそれなりに権力をもった存在になっていたのだ。
織田信長と足利義昭というと、信長が圧倒的に強者で、義昭はいいように利用されてたんじゃないかという思い込みをひっくり返してくれる。信長、苦労してたんだ!葬式の祭壇に抹香ぶちまけた勢いで天下統一したようなイメージがあったからなあ。信長と義昭は互いを利用すべく機嫌とったり、時に高圧的に出たり、裏をかいたり、いろいろやっている。それで不穏になったり仲直りしたり。天下を獲るのはたいへんだ。
そして信長は本能寺の変で死んでしまい、義昭は豊臣政権下で「元将軍」として「一大名」に格下げとなり、静かに暮らした。結局、どちらが勝ったんだろうか。
※週刊朝日 2014年10月17日号