靖国神社について人はもうフラットに考えられなくなっている。とくに書籍で靖国神社を扱うものは、「書いてるお前の立ち位置」を見極めないと落ち着いて読めない。これもズバリ靖国神社について書いてある本だが、不思議なことに、著者のスタンスがあんまり気にならない。靖国神社が単なる都会の大きな神社のようである。靖国はイデオロギーを抜きにしては語れないし、実際この本でもそれは多く語られる。「会員800万人、日本遺族会の政治的圧力で国家護持へ」「中曽根康弘の正式ではない『公式参拝』」とか。
じゃあそのことについて著者はどう思っているのか、読者にどう思わせたいのかというのが、ないわけないのに淡々としていて、教科書を読んでるような気分でスルスルと読んでしまう。つまらなかったらスルスル読めないので、面白いわけだ。じゃあどういうところが面白いか。
由緒です。大きな神社の由緒についてきちんと書かれたものは読み応えがあるものなのです。私は靖国神社にいっぺん詣ったことがあり、白い鳩や、妙な迫力のある遊就館ばかり印象に残っていたが、広い敷地の中にはさまざまな碑や像が建立されていて、靖国神社の公式サイトに載っていないものがある、とかいうのはワクワクするではないか。それは「特攻勇士之像」と「特攻勇士を讃える碑」だそうで、別に隠蔽されたというものでもなさそうだ。「特攻勇士之像」を見るために靖国神社に行こう、という気になる。
寺社巡りの趣味がある人ならわかってもらえると思うけれど、「神社の中にある人知れぬもの」というのはやけに愛好者をワクワクさせるものなのだ。他にも、あまり名の知られぬ鎮霊碑や末社などが、大きな神社だからいっぱいあって参詣心をそそる。
そんな神社の由緒が、コンパクトにキッチリ書かれている。天皇が参拝しなくなった経緯が最終章に書かれているけれど、それも淡々と、かつ乾いた筆致であるのが良いです。
※週刊朝日 2014年9月19日号