沖縄家屋の前にて
沖縄家屋の前にて
この記事の写真をすべて見る

 3月になりました。ふと暖かい日があると思えばまた寒くなったりと空も春に向けて忙しいですが、みなさまお変わりなく過ごされていますでしょうか。

 今回も、前回に引き続きあくまで私が知っている範囲の沖縄の話をしようと思います。

 しかしあれですね、たかだか数年でも演奏活動をする時以外の拠点を沖縄にしていると、ものの1ヶ月弱本島へ行かないだけで天気予報の数字で見る気温の体感がどの程度のものだったかまるでよく分からなくなります。私だけかも知れませんが……。

 夏は種類は違えど本島もかなり暑いので特には困らないのですが、暖かい所に居ると寒さの記憶が曖昧になってくるんです。
 では例えば、9月中旬に沖縄に帰って来て約1ヶ月暮らし、次は10月下旬頃に本島に行くとします。

 9月中旬だと、本島はまだ夏の名残りをかき集めた様な日があったりで基本的に暑く、せいぜい「今年も夏が終わってゆくな……。」としんみりするくらいの気温。でもまあ半袖ですよね。で、無駄に切なくなったところで「沖縄に帰りさえすればまだまだ真夏か」と思いきや、いざ飛行機から降りると、あれ? なに?! ちょっと秋感が出ちゃってる! と思うことになるのです。

 いや、9月中旬の沖縄は確かに全く夏の気温であることに間違いはないんですが、こう、微妙な陽射しの具合だとか雲の感じだとか、夕暮れのなんとなーくの風の匂いだとかが、沖縄の絶対的に抗えないストロングタイプの真夏のそれとは違っていて2度切ない思いをすることになるのです。

 そこからひと月沖縄に居てみると、帰ってきたばかりの時に感じたような事は最早よく分からなくなって、普通に「暑い…な…?」と思う程度に。

 しかしですよ、ここからが問題で、前述のように9月から10月をまたいで那覇で完全に夏を引きずっていると、10月下旬にいざ東京に……と、なんとなくパッキングをしようかと思い天気予報を見ると、那覇の気温より10度以上も低いじゃないか…! となるわけです。

 そう考えるともうダメだ。去年の10月どころか今までの何十年と過ごしてきた東京の秋の気温を思い出すことが出来ない……。
 でも、もう10月下旬とは完璧に秋で、なんかけっこう寒かった気がする……。少なくともカットソーに革ジャンとかじゃなかった気がする……。などと思い始めて、そのうち今の感じから10度も低いというのが必要以上に寒い気がして、寒いよりはましだ、とうっかり一応ダウンなんか持って行っちゃったりして、結局すごい荷物になりました。
 こういう事は、沖縄に来た1年目より今のほうがやってしまいがちです。不思議。

 ……どうでもいい話しが長引きました。

 ようやく本題というかなんと言うかですが、沖縄といえば数年前から流行りのスピリチュアルナントカと銘打たれた場所やモノがたくさんあります。

 スピリチュアル云々というのをなんとなく全体的に見た感想は、少しミーハーで多少商業的。ちょっとしたブームになるということは発信する側がミーハーな層に向けて、結果的にビジネスに繋がる事も交えてアプローチするのは当たり前の事なので別に構わないのですが、まー……正直私としては少し胡散臭いところもあるなあ……と思ったのが正直なところでした。

 いつか夏にここのコラムにも書いた事なのですが、私は多少心霊現象にあったこともあるので、今は生きていないものの存在があること、どうにも説明のつかない事が起きる時もあるのを疑いません。
 しかし、完全に偏見によるものですが、如何せん占い師系はなんとなく疑ってかかっていました。
 でも沖縄に来て自分の中の「あること」と「ないこと」の境が心底どうでもいい区切りだった……と思わず脱力した話をします。
 
 まず、いつか大嫌いな歯医者へ行くときに血眼でネット上にある無痛治療医院を探してまわり、場所がよくわからなかったので住所だけメモしてタクシーを呼んだときの話。

 車に乗るとすぐに運転手さんは「こんなとこにこんなマンションが建ったか~」と言い、何の気なしに適当に世間話をしていると、会話中すぐには気付かないくらい本当に自然に、私が何年くらい前に移住してきたか、主人も東京出身者であること、父親が死んでいて、母と妹が一緒に住んでいることを前提に雑談してくるというか、普通~に会話に盛り込んできました。

 テレビなんかで見る占い師の「ほらほらどうです、お見通しですよ、ふふふ」みたいな気味悪さと、言い当ててやろうみたいなウザさがないので、実際に色々言い当てられていてもギョッとする事もなかったのですがさすがに途中で「?」となっていると、運転手さんは代々沖縄の人で、なんだかそういう事がわかる家系なんだ、と。

 本当にあんまり普通にそんな事を言うので「へ、へ~…。」としか言えないでいるうちに目的地住所周辺に。
 その前に一度コンビニへ寄りたかったのでベタ付きする前に、この辺で……と車を止めてお金を払うと独り言のように「っつ~。歯医者は嫌だよなあ。」と言い、釣り銭を渡され車を降りました。
 行き先は歯医者とは言っていないことは後から気付きました。

 話の途中に特には「あなたはどうの~…」とか「こうすればどうの~…」などの事を言われなかったし、何度も言うようですが、運転手さんは日本中の最も普通のごく平均的なおじさんの見た目で、話し口調もあんまり自然だったので、地味なびっくりが後から追いかけて来ただけで「ははっ…」と脱力よりに笑うしかなかったのでした。

 それから、こちらは沖縄でたまにライブをする時にはお話ししたりすることなのですが、ある日の夜9時くらいに友人と電話していると、積もる話も終わったところにひょんなタイミングでダラダラスイッチが入り、たわいもないにも程があるような話をそれはそれは何時間も電話していた時、理由もなく気分を変えようと話しながら自宅の裏のバルコニーに出てみました。

 長電話にはよくある事ですが、とっくに会話の盛り上がりのピークは過ぎており、もうその頃には電話口の話しなんてお互いどうでも良くなってきていて、電話機の向こうからはさっきから断続的に爪を切っている様な音がしているし、こちらもボソボソダラダラと唇の皮のささくれをつまみながら実際には買うつもりもないシャネルだのプラダだのの新作バッグのサイズが2種類あってさ云々、なんて喋っていました。

 その時の私は本当に何も考えていなかったと思います。
 非常にリラックスした状態で何の気なしにマンションの下の街灯の辺りを見ていたら、どこからかシャカ……シャカ……と丁度コンビニ帰りの人が歩いてくるには遅いような音がしました。
 それでも、ふーん、と特に気に留めず目線を外さずにいると街灯の光の下に、高さにして70~80センチくらいで、角をとった四角形の手足の部分に大根を大ざっぱにくっ付けたようなものがビニール袋を肩? に提げて、もぞもぞとことこ歩いているものが現れました。

 電話をしながら、
「わかるわかるー。ナントカカントカだよね~うんう…ん。……っえ?…ひえっ?…あれ? …やばいやばいやばい…。」
 となり、それでも目を離せないでいると、その“なにか”は何という事はなかったかのようにごく普通に、そのまま私に背を向けた方向へとことこ歩いて暗がりに消えていきました。

 絶対に人ではない……
 絶対に“元”人でもない……

 というのも、あくまで「自称心霊体験」をした時に見たり感じたりしたことは、どこか発熱中の夢のような感覚で割にふんわりしているもので、どっちにしたって触っちゃあいないんですが、見た感じの質感なんかもちょっと立体感に欠ける様な感じで、どこまで行ってもすごいリアルな夢未満の五感のくすぐり方しか出来ない程度のものでした。

 そう言えば、前回の記事で「虫嫌いがもはや狂気の域」というような事を書きましたが、度々見る夢で、主に蝶などが自分目掛けて飛んできて「うぎゃあ」と叫んで飛び起きる事がよくあるのですが、1度2度、いつもの様に夢の中で目前まで虫が飛んできてそれを払うようにして目を覚ますと、部屋の白い壁の頭ななめ上らへんに子どもの拳大のもにょもにょ動く変な模様が見えてしまったのには流石に自分に引きました。

 大概いつも夢の中でびっくりしてパッと起きた時には、多少心拍数が上がって虫への嫌悪感は残っていても「は~、夢かあ。」とハッキリわかるので、その時は夢だったと理解しながら目の前の錯覚を凝視するのは変な気分でした。

 もう虫ではないとわかっていてもその類の幻を見るのは初めてで興味があったので、起き上がってかなり近くで見てみると、それは夜どころか朝も昼も忘れて起きていてしまったようなカンカン照りの昼過ぎ、遮光カーテンを急に開けて外を見た時にまだ残る部屋の暗さみたいなチカチカが動いている幻の様なものがあっただけでした。触るとただの壁でした。
 が、よく見るにせよ、あくまで夢だったものの続きが目の前に現れてしまうのは、とうとう私もインセプション的なセカンドステージに……と思いましたが、それ以降は夢は夢の世界で終わっています。

 話がまた逸れてしまいましたが。
 電話中に見たビニール袋を提げたでっかいおまんじゅうみたいな何かは、只でさえもわけの分からない私の、前述したような更にわけの分からない脳内の、あくまでも幻の域を出ない様なものとは全然違って、はっきりとそこに存在しているのが分かりました。
 それも多分その何かは、私が見た時は帰宅途中で、私にいつもそれが見えているかはまた別として、きっと普通に普段からこの近所で生活してるんだろうな、というような一種の凡庸性すら感じる存在感でした。

 今年になってから、世界遺産にも選ばれている沖縄の斎場御嶽(せーふぁうたき)へ行った時は逆のことを感じたもので、そこは、きっと昔よりもっと昔にはとっても大切で特別な場所で、選ばれた人しか立ち入ることはできず、久高島を目の高さで一直線に眺めることができる祈祷所は本当に龍の通り道であったことがなんとなくわかるような場所でした。
 でも、なんというか…。こういう時の自分の語彙の貧しさが嫌になりますが、今の斎場御嶽というのは「圧倒的にそこに何かあった」という事実を残しただけの穏やかな場所だと思いました。

 私は漠然と、人は、いつも文明が成熟して飽和すると、どうしても相殺し合ってしまって、そうしてゼロになったところから、誰かにとって都合が良くて、ある程度の基盤になるようなシナリオに基づいてまた文明を1から作ることを繰り返しているように思っています。

 世界中には未だに、学者が頭を突き合わせて考えても“いかにして”また“どうして”作られたかわからない文明遺産が無数にある中、それよりももっともっと遥かに昔の出来事を、研究なんかよりもっと前から当たり前のように語り継ぎ、ことによっては神話という形でメッセージを隠し、また当たり前に大切に大切に敬う事が現代にまで染み付いている沖縄の風土には、こう、脱力さえ覚える形で、気付いたらひれ伏している様な気持ちになりました。

 こんな事を言うと笑われてしまいそうだし、私も自分で少し可笑しいなとも思うのですが。
 昔も昔、大昔の少なくとも日本中には、どこにでも人間に近い妖怪みたいなやつだとか、獣に近い妖怪だとか、神様みたいな何かだとか。そういったものたちと人間とが、お互いのテリトリーの様子見をしながら当たり前に共存していた時があって、それから大きな時間が流れるうちに、だんだんと色々な国の様々な考え方や作法が入って来て。それらに日本人らしく順応していった結果、人ではないものたちがいなくなったか、または見えなくなったか、はたまた認めなくなったかして今に至り。
 でも沖縄には圧倒的に流れるものの優しい強さが、人々の考え方を固めるような事を必要としなかったために、今でも生活の中に不思議なことが一緒に存在しているのではないか、と思うのです。

 厳かだけれど、決してむつかしくない。私みたく沖縄を、琉球を、ちっとも勉強しない者にも、住んでいればふとした生活から自然と何かを考え気付かせる豊かな土地。

 沖縄とはむかしから、表面上にどんな問題が起きてもそれを強く優しく乗り越えさせ、痛みも悲しみも、また大きな大きな怒りも内包して。それでも人々に真に「なんくるないさ」と言わせる事のできた唯一の場所なのではないでしょうか。[次回更新4月7日(月)予定]

-----------------------------------
矢野沙織 Live Schedule

~SAORI YANO LATIN JAZZ NIGHT~
03.26(水) 目黒 ブルースアレイジャパン

矢野沙織カルテット
03.28 (金) 西新井カフェクレール
04.02 (水) 名古屋スターアイズ2Days
04.03 (木) 名古屋スターアイズ2Days
04.05 (土) 和歌山デザフィナード
04.07 (月) 大阪ロイヤルホース

CRYSTAL JAZZ LATINO with Special guest 矢野沙織
04.23 (水) 横浜 MOTION BLUE
04.24 (木) 柏Studio Wuu
04.25 (金) 高崎 Club Jammer's

詳細はオフィシャルHPより
http://www.yanosaori.com/
-----------------------------------

■参考
世界遺産 『斎場御嶽』
http://www.city.nanjo.okinawa.jp/tourism/2011/11/sefa.html