『Plays The Music Of Jimi Hendrix』Gil Evans
『Plays The Music Of Jimi Hendrix』Gil Evans

 国内盤CDの低価格競争が止まらない。とくにジャズは1000円前後があたりまえになった。「マイルスやコルトレーンだけが名盤ではない!」との宣伝文句も勇ましく、マイルスやコルトレーンの名盤ばかり出していたレコード会社は名門レーベルを番号順に出し、これまでCD化に消極的だったレコード会社は「日本初CD化!」と大きく謳って出しまくる。うーむ。

 しかし低価格化は入門者・初心者の拡大に確実につながる。マニアはすでに輸入盤が(その低価格盤よりも)安い値段でずっと前から販売されていることを知っているものの、ついつい国内盤に手を伸ばす機会が増える。身近にブツがあることの優位性というものだろう。そして今度は老舗コロンビアとRCAから1000円盤が大量に発売される。これも会社が合併・吸収によって実現した企画だが、再発及び廉価分野では未開に等しかっただけに「やっときたか」の思いが強い。

 以前にこのコーナーで、マイルス・デイヴィス、ギル・エヴァンス、ジミ・ヘンドリックスを巡る物語を書いたが、今回のシリーズには『ギル・エヴァンス・プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』が選ばれている。そこでこのCDの再発を機に、再び三者の関係について書きたいと思う。

 ジミ・ヘンドリックスは晩年、次のように語っていた。「ビッグ・バンドと共演したい。俺はギタリストとして成長したと思う。だが音楽家として、作曲家としてはどうかな。俺が学ぶべきことは、まだまだたくさんある。新しいアイデアが、このモジャモジャ頭のなかに渦巻いている。しかし、そいつを実現するのは、ギターじゃないかもしれない。俺は自分が書いた曲がオーケストラでどう表現されるのか、そいつを聴いてみたい」(Crosstown Traffic by Charles Murray:1991)

 そこでヘンドリックスは、懇意にしていたプロデューサー、アラン・ダグラスに協力を仰ぐ。デューク・エリントンの『マネー・ジャングル』やビル・エヴァンスの『アンダーカレント』といった名盤をプロデュースしていたダグラスには、ヘンドリックスに欠けていたジャズの豊富な知識と人脈があった。次はダグラスの発言。「私はジミにギター・アルバムを提案した。ヴォーカルは一切なし。ジミも乗り気だった。そこで私はジミに、マイルスとギル・エヴァンスの『スケッチ・オブ・スペイン』と『ポーギーとベス』のレコードを渡した。次にギル・エヴァンスに相談した。ギルはジミを高く評価していた。そしてギルは『マイルスにも何曲か演奏に加わってもらおう』と言った」(Jimi Hendrix:Musician by Keith Shadwick:2003)

 その後、ヘンドリックスは他界する。そして4年後の74年6月、ギル・エヴァンスはヘンドリックス作品集を吹き込む。それが『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』ということになる。今回のCD化ではボーナス・トラックが多数収録され、この歴史的なセッションの全貌に肉薄したものとなっている。この機会に、多くの人にこのすばらしい音楽が届きますように。なお3月には同じくギルの『時の歩廊』が出る。こちらにもヘンドリックスの曲が入っている。[次回2/24更新予定]