4日の昼には仙石みなみ、古川小夏、森咲樹、佐藤綾乃が渋谷タワーレコード前で即売を行ない、さらに新宿店に移動して(関根梓も合流)「一日店員」をやった。そして7時から渋谷マルイシティで佐保明梨、新井愛瞳が加わったフルメンバーによるミニライヴ+握手会だ。ここは前シングル「サマービーム!/アップアップタイフーン」のリリイベも行なわれた場所。でもそのときよりもオーディエンスは、どう割り引いても2倍はいる。演目は「SAMURAI GIRLS」、「ワイドルセブン」、「Burn the fire!!」、「サマービーム!」。ステージから見て道路を挟んで左側にあるビルに、モーニング娘。とJuice=Juiceの巨大な垂れ幕がかかっていた。どちらもアプガと同じ所属事務所である。これもメンバーのファイティング・スピリットを刺激したはずだ。
5日は池袋PARCO本館屋上に立った。アプガにとっては初めての場所だ。屋上のライヴといえば、ぼくはビートルズが1969年に行なった通称ルーフトップ・コンサートを思い出す。ビリー・プレストンをサポートに迎えて、「ゲット・バック」や「ドント・レット・ミー・ダウン」を白い息を吐きつつやっていた、あれだ。ならばこれはアプガのルーフトップ・セッションか。直前まで雨が降っていたがそれも止み、曇り空ではあったが、とにかく気持ちのいいパフォーマンスを味わうことができた。「ワイドルセブン」、「SAMURAI GIRLS」、「リスペクトーキョー」、「アップアップタイフーン」の4曲を披露。
6日、関東地方でのリリイベ最終日は、アイドル・イベントの聖地、池袋のサンシャインシティ噴水広場で行なわれた。実に感慨深かった。どんな噴水よりもアプガのパフォーマンスが最も高く噴きあがっていた、とまとめさせてもらおう。ステージを囲み・見下ろす全オーディエンスに絶えず気を配った360度のパフォーマンスは、本当に圧巻だった。そのときに撮った画像もいくつか載せておく。
ぼくは大急ぎで家に戻り、大阪行きの準備を整えた。7日(土曜)の正午から、リリイベが梅田の「タワーレコード梅田NU茶屋町店」で行なわれるからだ。アプガの皆さんも忙しいけれど、見に行くほうだってそれなりにハードだ。だが足を運ばずにはいられない。そこにアプガがあれば、ファンは黙って突進するのが筋だ。「誰に頼まれているわけでもないのに、なぜそこまで?」といわれたら、「アプガの持つ、溢れ湧きあがるエナジーがオレを猛烈に動かすのだ」と言うしかないだろう。
だから殆ど寝ずに大阪に向かった。でもそれでいいのだ。パフォーマンス中は完全に意識がトンで、いや、飛んでいるから眠気を感じることはない。どちらにしても、その日アプガのイベントやライヴがあるとわかれば、「今日はどんな風にノックアウトしてくれるのか」、「エモーションの嵐で溺死することになるのか」と気分が高まって、寝ることなど二の次三の次だ。
諸兄はハッスルコーラを知っているか。ハッスルハッスルハッスルホイ、という歌を聴いたことがあるか。それを飲むとモノクロの世界がたちまち総天然色に変わり勇気リンリン、何だか知らぬが天下取った気分になるというシロモノだ。ぼくにとってアプガのパフォーマンスはまさに音のハッスルコーラであり、ポパイにとってのほうれん草であり、説明するのがめんどうになるほどとんでもないパワーを浴びている。冷静になればなるほど、アプガの威力を感じずにいられない毎日である。
タワーレコード梅田NU茶屋町店はとても広い。しかしぼくが到着したとき、イベント・スペースは既に立錐の余地がないほどであった。だからぼくは、店内各地に設置されているテレビ画面でパフォーマンスを見た。7人は大阪のオーディエンスを完全に乗せている。これは夜公演もとんでもなく盛りあがるであろう、と期待モリモリのまま「梅田AKASO」に向かった。3曲目ぐらいにはエアコンがうまく作動せず天上から液体(ヲタ汁)が降ってきたのではなかったか。冷房壊しのアプガ、本領発揮である。MCでは森ティのギャグがすべりまくり、それがまたたまらないおかしさを運び込んでいた。
翌9月8日、アプガは名古屋にいた。昼間はパルコにあるタワーレコードで即売会+握手会だ。直前まで名古屋は大雨だったそうだが、ぼくが到着したときには傘は不要だった。タワーレコードは6Fにある。しかしファンの列は階段をぐるっと、1Fまで続いていた。アプガのパワーとスタミナには心底、恐れ入る。しかもこの数時間後には、8Fにあるクラブクアトロのステージに立つのだ。
ぼくは大須や久屋大通をぶらぶらしながら開演を待った。泣いても笑っても「アップアップガールズ(仮)1stライブハウスツアーアプガ第二章(仮)開戦 ~名古屋決戦~」はこの日しかない。しかもこの早朝、2020年のオリンピックが東京で開催されるということが決まってしまっていた。朝起きてそれを知ったとき、ぼくは即座に遠藤ミチロウの歌を思い出した。オリンピックがやってくる、それ以上はカット、カット、カット!
アプガのステージでもオリンピックの話題が出た。7人で開会式で歌いたい、と言ったメンバーもいたと思う。だがぼくにいわせれば、アプガの毎回のステージこそオリンピックである。古川小夏の自己紹介における観客とのやりとりはベースボールであり、佐保明梨の空手はいうまでもなく、「SAMURAI GIRLS」の斬り合い、「Next Stage」の馬とび、「アッパーカット!」のボクシング、「チョッパー☆チョッパー」のプロレス、さらに「夕立ち!スルー・ザ・レインボー」の盆踊りなどなど、オリンピックは4年に1回というケチくさい開催だが、アプガはほぼ毎日か数日に一度の勢いで音楽による競技平和の祭典を繰り広げているのだから、どちらが偉大かは各自、考えてみてほしい。
名古屋のMCでは仙石みなみが「アプガ軍」という言葉を使った。このフレーズ、初めてきいた。「あれ、春の対バン行脚(仮)では“アプガファミリー”という言葉を使っていたはずだが」とも思った。ぼくは4月13日の横浜BLITZ公演でそう言っていたはずとぼんやり記憶していたのだが、DVD『アップアップガールズ(仮)対バン行脚(仮)~OfficialBootleg BOX~』で確認したら4月6日にラフォーレミュージアム六本木で行なわれた「対バン行脚(仮)~東京決戦 VS BiS~」の中で、だった。その公演の冒頭のほうで仙石みなみ、中盤に差し掛かった頃には古川小夏が「アプガファミリー」という言葉を口にしている。そして今回、「アプガ軍」である。ぼくはツイッターにこう書いた。
アプガ軍という言葉、ぼくはきょう初めて聞いたが、kissの熱狂的なファンもkiss armyと呼ぶんだったなあと思った途端、頭の中でデトロイトロックシティが流れた。
8月13日から9月16日まで、ぼくは「アップアップガールズ(仮)1stライブハウスツアー アプガ第二章(仮)開戦前夜」および「アップアップガールズ(仮)1stライブハウスツアー アプガ第二章(仮)開戦」、それに付随するイベントのすべてに足を運んだ。同じようなファンが相当数いることも知った。彼らに感じられるのは、「アプガor Die」というべき強烈なパッションだ。アプガはなぜそこまで人の心をつかみ、猛烈な感動を与えてくれるのか。ぼくはまだ、それを知るための最初のステップを踏み出したに過ぎない。身も心も熱くなるのは、これからなのだ。[次回10/28(月)更新予定]