大震災後のスーパーでの食料争奪戦に疲れて山梨県甲府市に帰省し、1週間が経とうとしている。こちらは余震がほとんどなく、子どもたちも私も久しぶりに熟睡できている。甲府には物資はあるが、私はありものを消費することに一所懸命である。
甲府に戻るとき、東京のスーパーで買ったものも一緒に持って行った。野菜も米も小麦粉も麺類も缶詰もなくなったスーパーで、頭が真っ白になった私が手に入れてきたもの、つまりそれはスーパーで余っていたものである。
買ったのは代用品ばかり。おかずがないからせめて主食を豪華にしようと「炊き込みひじきご飯の素」を。豆腐がないからと「凍り豆腐」を。そしてベジタリアンが肉のように唐揚げにする「お麩」をたくさん。この他、乾燥ネギ、切り干し大根など、乾物を中心に買うしかなかった。だってそれしか余っていなかったのだから。
また、お菓子がなかったら子どもたちがストレスを抱えてしまう!という焦りから、100円の袋菓子を買い集めた。それも芋けんぴとか小魚入りナッツとか健康に良さそうなものばかり。
今はそれらを実家で粛々と消費しながら生きている。
あんなに怖いスーパーは見たことがなかった。何でも手に入る場所だと思っていたのに、何にもないのだ。そして「今買わなければ何もかもなくなってしまう!」という強迫的な感覚を抱いてカートで店内を駆け巡っていた自分も本当に怖かった。私はなりたくないと思っていたパニック買い主婦に成り果てていたのだ。
でもあの買い占め騒動の中、不思議だったのは、人々も私もフルーツを無視していたことだ。グレープフルーツやリンゴがさみしそうに陳列棚に山盛りで残り、飲料もフルーツジュースだけが大量にあった。果物じゃおかずにならない、ということだと思う。そしておかずはないけどコメはある、という人が多かったのか、ふりかけの棚までもがスカスカだったのも、印象的だった。
今ではもう、東京にはパンも米も豆腐もあるという。でも私は子どもの春休みが終わる4月初めまでこちらで原稿を書くことにした。その間、我が家は何度もひじきの炊き込みご飯を食べることになるだろう。なにしろ248円の「炊き込みひじきご飯の素」をなぜか5袋も買い込んでしまったのだから......。
空っぽになったスーパーの棚