大分大会決勝の鶴崎工戦、0対1とリードされた大分雄城台は8回、四球と犠打で1死二塁と反撃し、大神敏行の右中間三塁打で同点。なおも四球と盗塁で1死二、三塁とチャンスを広げたあと、田中篤史の左越え3ランで4対1と逆転に成功した。
だが、台風11号接近の影響で、雨が降ったりやんだり、不安定な天候のなか、行われていた試合は、あと1イニングで大分雄城台の勝利という9回に雨が激しくなる。8回まで1失点のエース・植木貴弘が制球を乱し、すっぽ抜けを連発。濡れたボールを何度も交換したが、効果なく、3長短打で2点を返されてしまう。
1点差に迫られ、なおも1死三塁のピンチで、雨が一段と激しくなり、試合中断。1時間余り回復を待ったが、午後4時46分、ついにノーゲームが宣告された。
準決勝までなら降雨コールドで大分雄城台の勝利だったが(高校野球は7回で試合成立)、決勝戦は9回まで行うルールで、コールドが適用されないため、9回1死まで試合が進みながらノーゲームという県高校野球史上初めての珍事に……。
野球部長が中止を伝えると、ナインの一部から「ああ、あほらしい」と不満の声が上がり、決勝3ランを放った田中も「えっ、あのホームランは幻になったんですか」と驚きの表情を浮かべたが、坂東一彦監督は「ホッとした気分。中断したときは鶴工が押していたし、1死走者三塁は同点にされたと一緒。負けもあったかもしれない」とまっさらな状態での仕切り直しに胸をなで下ろしていた。
だが、翌日も雨で順延となり、翌々日に行われた再試合は、鶴崎工が6対2で逆転勝ち。大分雄城台にとっては、最初の試合の勝利目前での“無情の雨”が悔やまれた。
同校は安藤優也(元阪神)を擁し、甲子園が期待された95年も、準々決勝の日田戦で、テキサス安打を放ち、二塁を狙った安藤がクロスプレーの際に左手を負傷して交代する不運なアクシデントで敗退。99年、08年にも決勝で敗れ、あと一歩甲子園に届かなかった。
なお、今年から甲子園では継続試合が導入され、ノーゲームや降雨コールドはなくなった(地方大会は主催者が判断)。