首相経験者を殺害するという前代未聞の犯行に及んだ山上容疑者とは、いったいどんな人物だったのだろうか。
山上徹也容疑者が生まれた家は、奈良市西部の住宅地にあった。近隣によると、祖父が土建業を営んでいて、実家は裕福だったという。
「周囲に他にも土地も持っていて、生活には困っていなかったと思います。徹也君の叔母は医者になって奈良県内の病院に就職したと聞いていますし、徹也君も勉強ができた。教育熱心な家庭という印象です。徹也君は父親を早くになくしていますが、まじめでおとなしく、あいさつすれば返してくれる普通の少年でした。こんな恐ろしい事件を起こすなんて想像できません」(近所に住む女性)
県内の公立高校に進学すると、応援部に所属。山上容疑者が2年生と3年生の春、母校は甲子園に出場している。経歴からすると輝かしい高校時代を過ごしているかに見えるが、1年生の時に同じクラスだった同級生によると、「ほとんど印象に残らない影のうすい人だった」。
高校卒業と前後して、山上容疑者の人生には変化が訪れる。祖父の死があり、生まれ育った実家の土地と建物を売り払い、近隣の集合住宅へ転居。これと前後して、家の経済状況が急速に悪化したとみられる。捜査関係者はこう語る。
「母親がある宗教団体にのめり込んで家がおかしなことになり、一家は破産している。山上容疑者は、悪いのはその宗教団体だと、一時はその団体のトップを狙っていたが予定がわからない。そこで、その団体と関連があると思い込んでいた安倍首相の参院選の演説を連日、ネットでチェックしていたと供述している」
官報によれば、破産は2002年8月のこと。この年から、山上容疑者は3年間の任期付きで海上自衛隊への勤務を始めている。
実家の近所の主婦はこんなことを覚えていた。
「あそこの家の女性から『世の中をよくする署名だから』と署名を求められたことがあります。判子じゃなくて、血判を押してくれと言うんですが、それには抵抗があってお断りしたことがあります。何かの宗教のようなものに入っていたのか……」